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百済と新羅とヤマト王権  ( 弁護士の小話   韓国旅行後考えていること ) 2010/12/01
2010年8月末,韓国国立中央博物館で三韓の遺跡を見た後,ずっと興味を持っていることがある。
「日本という国号について」のブログはとても安定して書けるものであった。
今回は,その続きである。

百済(くだら)と新羅(しらぎ)。
この読み方と,日本の王朝との関係である。
この読み方だけは,どうしても,日本のこう読ませた王朝とこれらの国々との関係を決定的に定義づけざるを得ない。日本人はこの事実から逃げることはできないと思われる。

百済は日本語で音読みすると,ヒャクサイであり,韓国語で読むと,ペクチェである。
しかし,日本では百済を「クダラ」と読む。
新羅は日本語で音読みすると,シンラであり,韓国語で読むと,Shilla(シーラ)である。
しかし,日本では新羅を「シラギ」と読む。
「クダラ」は韓国人が聞くと「クンナラ」=「偉大な国」と読め,
「シラギ」は韓国人が聞くと「シーラギ」=「新羅の奴」と読めるという風に言う学者が日本にも韓国にもいる。
韓国語に関する常識でいっても「クンナラ」と来れば,「クン」は「クンキワチプ」の「クン」。「大きい瓦の家」という意味の貴族階級の両班(ヤンバン)たちの家を指す「クンキワチプ」の「クン」は大きいという意味。「ナラ」は,ハンナラ党の「ナラ」で,ハンナラ党は「韓国党」のことだから,ナラは「国」という意味。
「クンナラ」が使い倒して「クダラ」となったのなら,「クダラ」は「大きい国」という意味になる。
2チャンネルなどでは,こうした見方を無視すべきだとする叫び声が目立つが,根拠らしい根拠はない。そこで,素直に考えると,百済を「ヒャクサイ」「ペクチェ」ではなく「クダラ」と読むのは,百済を本国と考えていた人たちだと思うし,新羅を「シーラ」「シンラ」ではなく「シラギ」と読むのは,新羅を,憎たらしい奴と考えていた人たちだと思う。

 こう読ませるという,訓読みの指示を,日本書紀も古事記も与えてはいない。しかし,百済が660年に滅亡していること,百済復興のための倭国と百済遺民の連合軍による白村江の戦いが663年に行われていることからすると,滅亡してからわざわざクンナラ(大国)と呼ぶことにしても国内的に全く意味がないので,百済をクンナラ・クダラと呼ぶという伝承は,660年以前からのものであるといえる。

 そうすると,日本の当時の王権が,百済という国(346年-660年),新羅(356年-935年)という国を自分たちとの関係で,どう考えていたかがかなり明瞭になってくる。
 
 普通に考えれば,百済は,自分たちの本国・祖国であると考えていたのだろう。新羅は,よく知っている近い存在であるが,嫌な奴と考えていたのだろう。

 もっとも,日本書紀は,百済を奈良王朝にとっての本国・祖国であると考えていたというそぶりはみじんも示していない。新羅を,敵じゃないが,少し嫌な国だと見ていたことは,明らかであるが

(第十九巻 第十話 欽明紀 「新羅は西に偏した少し卑しい国である。天に逆らい無道で、我が恩義に背き、我が官家をつぶした。我が人民を毒し害し、我が郡県を損なった。」などとある
(私本日本書紀http://www.loops.jp/~asukaclub/syoki/buhin/syoki000.html)。),

百済に対しては,「本国」ではなく,むしろ「当王朝が,恩義を施してきた」国として扱っている。
しかし,そのように本当に考えていたのなら,どうして百済を,「ヒャクサイ」「ハクサイ」などと呼ばせなかったのか。あるいは,現在もなお「クンナラ」をイメージするほかない「クダラ」という読ませ方をしているのか。そこにどうしても疑問が残る。
 王権の血のつながり抜きに語れないように思われる(後注「天皇の発言」)。

 そして,その先には,やはり,三韓時代に(朝鮮)半島で政権を執っていった人達(クニグニ)と,同時代に(日本)列島で政権を執っていった人達(クニグニ)との関係如何,という問題がでてくるのである。


(注)「天皇の発言」
 百済王室と王室との血縁関係については,今の天皇の次の発言が注目されている。
 (典拠)ウィキペディア
 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A1%93%E6%AD%A6%E5%A4%A9%E7%9A%87
 今上天皇の発言 [編集]

平成13年(2001年)12月18日、天皇誕生日前に恒例となっている記者会見において、今上天皇は翌年に予定されていたサッカーワールドカップ日韓共催に関する「おことば」の中で、「私自身としては、桓武天皇の生母が百済の武寧王の子孫であると、続日本紀に記されていることに、韓国とのゆかりを感じています。武寧王は日本との関係が深く、この時以来、日本に五経博士が代々招へいされるようになりました。また、武寧王の子、聖明王は、日本に仏教を伝えたことで知られております。」との発言を行った[5]。この発言は日本では特に話題とならなかったが[6]、韓国では大きな反響を呼び、「皇室韓国人の血筋を引いている」、「皇室百済起源論」「日王が秘められた事実を暴露」などの発言意図から逸脱した報道も多く行われた[7][8]ほか、当時の金大中大統領が年頭記者会見で歓迎の意を表するほどだった[9]。なお、今上天皇平城遷都1300年記念祝典の挨拶でも、百済とのゆかりについて同様の趣旨を発言している[10]

 これらについて水野俊平は、自著の中で朝鮮半島からの渡来人による古代日本における影響の大きさを認めつつも、彼等の日本社会への同化の程度も大きく(生母の高野新笠は百済系渡来人の武寧王から10代目であり、しかも6代前に日本名(和氏)にして帰化もしている)、果たして彼等をして「韓国人」と見てもよいかどうか、またそもそも和氏が武寧王の子孫であるかどうかも学術的に少なからず疑義を持たれていることを指摘している[11][12]。桓武天皇の生母である高野新笠は百済武寧王を遠祖とする渡来人和氏の出身という記述が続日本紀にあるものの、実際に武寧王の子孫であったかどうかは朝鮮側の資料から見ても不明瞭であるため疑問視する学説もある(詳細は高野新笠の項目を参照)。