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「これからの『正義』の話をしよう」(マイケル・サンデル)の話  ( 弁護士の小話   ポスト・グローバリズム ) 2010/08/02
マイケル・サンデルの「これからの『正義』の話をしよう」(早川書房)。
ようやく核心部分が見えてきました。
同書第9章の末尾 313頁~314頁にはそれが次のように述べられています。


正義と権利についての公的言説に善良な生活の構想を持ち込もうとするのは魅力的なやり方にはみえないかもしれないし,とんでもないとすら思えるかも知れない。結局,われわれのように多元的社会に生きる人びとは,最善の生き方について意見が一致しない。リベラルの政治理論は,政治と法律を道徳的・宗教的賛否両論から切り離すための試みとして生まれた。カントとロールズの哲学には,その意図が最大限に,最もはっきりと表れている。
 だが,この意図は成功し得ない。正義と権利をめぐり白熱した議論が繰り広げられている問題の多くは,賛否両論ある道徳的・宗教的問題をとりあげずには論じられない。国民の権利と義務をいかに定義するかを決めるにあたり,善良な生活をめぐり対立する構想を除外することはできない。たとえできるにしても,望ましくはないだろう。
 公共の領域に入るにあたって道徳的・宗教的信条を忘れることを民主的国民に求めるのは,寛容と相互の尊重を確保するための一法に見えるかも知れない。だが,現実には,その逆が真実となりうる。達成不能な中立性を装いつつ重要な公的問題を決めるのは,反動と反感をわざわざつくりだすようなものだ。本質的道徳的問題に関与しない政治によって,公民的生活は貧弱になってしまう。偏狭で不寛容な道徳主義を自ら招くに等しい。リベラルが恐れて立ち入らないところに,原理主義者はずかずかと入り込んでくる。
 正義をめぐる論争によって,道徳をめぐる本質的な問いに否応なく巻き込まれるとすれば,その議論をどう進めていくかが問われてくる。宗教戦争に移行せずに善について公に論じるのは可能だろうか?道徳により深く関与した公的言説はどんなものになるだろうか?そして,それはわれわれがなれている種類の政治論争とどう違うだろうか?これらは単なる哲学上の問いではない。政治的言説を再活性化しわれわれの公民的生活を一新しようとするあらゆる試みの中心にある問いだ。