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弁護士の小話-内田樹「日本辺境論」を読む  ( 弁護士の小話   ) 2010/07/29
7月22日付けで,事務所報「市民法律だより」を発行しました。
そこに,このタイトルと同名のエッセイを掲載しました。
事務所報では,字数に制限があるので,元原稿に編集カットを加えています。
ブログでは,元原稿のノーカット版を掲載します。

弁護士の小話-内田樹(うちだ たつる)「日本辺境論」を読む

 内田樹さんの「日本辺境論」(新潮新書)を読みました。本の帯で養老孟司さん「これ以降,私たちの日本人論は本書抜きでは語られないだろう。」と絶賛した話題作です。私もここ3,4年で読んだ文化論の中ではもっとも読み応えがあるものとだ思いました。大いに刺激を受けて,何かを書きたくなっても,とりあえずそこで指摘されている日本人的なパターンに収まってしまうことに気がつくので,逆にやりにくくて仕方がないというほど,ものすごい本です。この本のごく一部を引用しつつ身近なことに絡ませることで,このコーナーのお茶を濁したいと思います。

 内田さんは,「外部のどこかに,世界の中心たる『絶対的価値体』がある。それにどうすれば近づけるか,どうすれば遠のくのか,専らその距離の意識に基づいて思考と行動が決定されている。そのような人間のことを私は本書で『辺境人』と呼ぼうと思います。」と言います。そして,聖徳太子が随の煬帝に親書を送った事件,すなわち「日出づる処の天子」と書いて随の人々を激怒させた事件を引き合いにして,「ひねくれた考え方ですけれど,華夷秩序における『東夷』というポジションを受け容れたことでかえって列島住民は政治的・文化的なフリーハンドを獲得したという風には考えられないか。」「例えば,日本は大陸の律令制度を導入しながら,科挙と宦官については,これを導入しませんでした。別に科挙や宦官についてその当否をめぐる議論を重ねた上に非としたのではなく,なんとなく『当家の家風』に合わないような気がしたので,そんな制度があることを知らないふりをした。わざわざ反論もしない。非とするための理論武装もしない。知らないふりをする。何しろ間に海があるんですから。」「この国際関係における微妙な(たぶん無意識的な)「ふまじめさ」。これはもしかすると辺境の手柄の一つかも知れないと私は思うのです。はるか遠方に『世界の中心』を擬して,その辺境として自らを位置づけることによって,コスモロジカルな心理的安定をまずは確保し,その一方で,その劣位を逆手にとって,自己都合で好き勝手なことをやる。この面従腹背に辺境民のメンタリティの際だった特徴があるのではないか,私はそんな風に思うことがあります。」と言うのです。
 私は,小田実さん(2007年7月没)が,私たちが事務局としてお呼びした2004年5月のはりま憲法集会で,「アイアムジャパンで行こう」と話した言葉を忘れることができません。アメリカの始めたイラクでの戦争に自衛隊が派遣される最中,「この私こそ日本,私が日本だということで行こう」と彼は呼びかけ,そしてその1ヶ月後に井上ひさしさん(2010年4月没)らと9条の会を小さく(当時は本当に小さく)立ち上げたのです。
 内田さんはいいます。「『アメリカとは何か,アメリカ人はいかにあるべきか』という問いに市民ひとりひとりが答える義務と権利がともにあるということについては,『アメリカというアイディア』に骨肉を与えるのは私だという決意については,国民的合意が成立している。」そして日本には,「日本というアイディア」に骨肉を与えるのはこの私であるという発想をする人だけがいない,と言うのです。「少なくとも,『そんなこと』について自分の頭で考え,自分の言葉で意見を述べるように準備しておくことが自分の義務であるとは考えていない。『そういう難しいこと』は誰かえらい人や頭のいい人が自分の代わりに考えてくれるはずだから,もし意見を徴されたら,それらの意見の中から気に入ったものを採用すればいい,と。そう思っている。」と言うのです。私自身が,このコーナーでそういう内田さんの文章を引用していることからも,そういうメンタリティが,あるんだろうなと,思います。
 しかし他方,2004年に小田実さんを迎えたはりま憲法集会のアピール文は次のように述べます。
 -アメリカのブッシュ政権や、これにどこまでも追随する小泉内閣の進み方は、「強いものが正義」・「民主主義のための暴力」という論理で自分の国と世界を支配しようというものです。しかし、これは間違っています。小田実さんはいいます。日本人は、自分の国がそれまで行った「殺し、焼き、奪いつくす」行為の、全てが自分達に跳ね返って、今度は「殺され、焼かれ、奪われる」大変な経験をした。そして、それを誰のせいにすることもできなかったと。
 まさにそのどんずまりの中で、私たちの父母は「武力や戦争や暴力で物事を解決しようという考え方は間違っている」という智恵に達したのではないでしょうか。だからこそ、私たちの憲法は、「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることのないやうにすることを決意し」、「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」のではないでしょうか。
 今、日本と世界は大きな2つの潮流のせめぎ合いのただ中にあります。それは、日本のテレビや新聞がいうように「改憲か護憲か」、「日米同盟か、それ以外か」という問題ではなく、まさしく「戦争か、平和か」、「無法か、法か」のせめぎ合いです。
 私たちは、今日、戦争の過ちを知り、戦争を違法と宣言する憲法を持つ国の市民として、この憲法とともに歩むことを誓い合いました。
 そして、アピールをお読みになるあなたに心から呼びかけます。国及び地方自治体の長、その議会と政党と公務員に、テレビや新聞に、ホームページやメールに、そして身近な市民に、「戦争には平和を」、「無法には法を」のあなたの声を、このアピールに添えて、一緒に届けましょう。-
 このような問題設定が,私たち日本の市民にはできる。それはどこかの国のまねごとではないですし,何か借り物の思想を引用したものでもないように思います。
 そういう目で改めて内田さんの本を読むと,内田さん自身がこの本のはしがきで,こうおっしゃっています。この本はとりあえず「足元のゴミを拾う」ところから始める本です。,ボランティアで「どぶさらい」をやっているようなものですと。
 うーん,なるほど,この本は本当に柔らかくて深い。今後ともこの本を棚書から外せそうにありません。
                      2010年6月25日記

<平田元秀wrote>