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新羅四代目王の生誕説話など  ( 弁護士の小話   韓国旅行後考えていること ) 2011/11/23
以前,「百済と新羅とヤマト王権」というタイトルでブログを書きました。
「 百済と新羅とヤマト王権 ( 弁護士の小話   韓国旅行後考えていること ) 2010/12/01」

久々にこの話題に関係する本(※)を手にしましたので,そのことを忘れないために,ブログにしておきます。

※室谷克実・三橋貴明共著
「韓国人がタブーにする韓国経済の真実」(PHP研究所)2011年9月6日第三刷

1.新羅の4代目の王が列島から来たことについて
●半島で最も古い史書で高麗の正史である「三国史記」には,「新羅の四代目の王が,日本列島から来た」,「四代目の王・脱解の生まれた国は,倭国の東北一千里のところにある」との記載があるそうです。そして半島では,一里=400メートルなのだそうです。
●半島で2番目に古い史書である「三国遺事」にも同じことが記述されているそうです。

★ そこで,さっそく新羅の4代目の王に関する「wikipedia」の記述を見てみましょう。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%84%B1%E8%A7%A3%E5%B0%BC%E5%B8%AB%E4%BB%8A#

脱解尼師今(だっかい にしきん、生年不詳 - 80年)は、新羅の第4代の王(在位:57年 - 80年)であり、姓は昔(ソク)、名は脱解(タレ)。
三国史記』新羅本紀・脱解尼師今紀は、誕生及び即位については以下のように記している。
倭国の東北一千里のところにある多婆那国[1]で、その王が女人国(不明)の王女を妻に迎えて王妃とし、妊娠してから7年の後に大きな卵を生んだ。王は王妃に向かって、人でありながら卵を生むというのは不吉であり、卵を捨て去るように言った。しかし王妃は卵を捨てることに忍びず、卵を絹に包んで宝物と一緒に箱に入れて日本の古事記のヒルコの如く海に流した。[2]やがて箱は金官国に流れ着いたが、その国の人々は怪しんで箱を引き上げようとはしなかった。箱はさらに流れて、辰韓の阿珍浦(慶尚北道慶州市)の浜辺に打ち上げられた。そこで老婆の手で箱が開けられ、中から一人の男の子が出てきた。このとき、新羅の赫居世居西干の39年(紀元前19年)であったという。老婆がその男の子を育てると、成長するにしたがって風格が優れ、知識が人並みならぬものになった。姓名がわからなかったので、箱が流れ着いたときに鵲(カササギ)がそばにいたことから鵲の字を略して「昔」を姓とし、箱を開いて生まれ出てきたことから「脱解」を名とした、という。長じて、第2代南解次次雄5年(8年)に南解次次雄の娘を娶り、10年には大輔の位について軍事・国政を委任された。南解次次雄が死去したときに儒理尼師今に王位を譲られかけたが、「賢者は歯の数が多い」という当時の風説を元に餅を噛んで歯型の数を比べ、儒理尼師今に王位を継がせた。儒理尼師今が57年10月に死去したときには、王(儒理尼師今)の遺命に従って脱解が王位についた。

とあります。脚注も参照してみてください。

2.「随書」で,新羅と百済が倭国を大国として敬仰しているとの記述があることについて
● 唐の初期の時代に編纂された「隋書」には,「新羅も百済も,倭国を大国として敬仰している。それは倭国には優れた品々が多いためで,常に使節が倭国に赴いている」との記述があるそうです。
★ これもwikiシリーズのwikisourceから調べてみました。
http://ja.wikisource.org/wiki/%E9%9A%8B%E6%9B%B8%E5%80%AD%E5%9B%BD%E4%BC%9D
  隋書 倭国伝 は短い文章です。

上記の「倭国伝」の中に
新羅百濟皆以俀爲大國多珎物並敬仰之恒通使徃來

とあります。これに句読点を打つと,
新羅,百濟,皆以為大國,多珍物,並敬仰之,恒通使往來。

 という格好になりますでしょうか。
確かに,
新羅,百済は,みな,倭を,大国で珍しい物が多いとして,これを敬仰し,常に通使が往来している。
と読むことが出来ますね。
(漢字が読めるって素晴らしいですね。)
 

勉強になりました。

  <平田元秀2011年11月23日wrote>