労働問題でお困りの方へ

 解雇,賃金,セクハラ・パワハラ,そのほか労働事件の争い方等についてお話しします。

 労働問題に関する法律相談
 解雇,賃金,セクハラ・パワハラ等の法律相談について

解雇

1.解雇の有効要件

 労働契約法では、「解雇は、客観的に合理的な理由を欠き、社会通念上相当であると認められない場合は、 その権利を濫用したものとして、無効とする。」と、 規定されています。

 そこで、解雇事案の解決に当たっては、

  1. (会社の主張する解雇理由に)客観的な合理性があるか
  2. (解雇処分が)社会通念上相当といえるか

について争われることとなります。

 このように、解雇は、労働者にその帰責事由に基づく債務不履行 (労働義務違反、付随義務違反)の事実があるだけでは足りず、 かつ、それが労働契約を終了させてもやむを得ないと認められる程度に 達していることが要求されています。

 これらの点は、使用者側に立証責任が課せられており、 使用者側にとっては、非常にハードルが高いと言えます。

2.「解雇」に該当するのかを再確認する

 「解雇」とは、労働者の承諾を要しない一方的な労働契約の解約と言えます。

 労働者本人は、「解雇」だと言っていたところ、 よく話を聞いてみると、会社から退職勧奨を受けて、 不本意ながら退職合意書にサインしてしまった という事案であったということがよくあります。

 この場合、労働者本人は、「解雇」という認識があるのかもしれませんが、 法的には、労働契約の合意解約であり、 その合意解約を争うことは、かなり難しいと言わざるを得ません。

 また、会社側もこの点を明確に区別せずに、「明日から来なくていいよ」などと言って、 その意思表示が解雇だったのか、それとも合意解約の申込に過ぎなかったのか、 争いとなる場合があります。

 従って、弁護士に相談する場合には、 会社から受けた通知が「解雇」だったのか、 それとも「合意解約の申込」に過ぎなかったのかをまず確認しておく必要があります。

3.解雇理由証明書・退職証明書の発行を要求すること

 会社から解雇を受けた場合、 まずは、自分の受けた解雇の解雇理由を特定する必要があります。

 前述のとおり、解雇を争う場合には、 使用者が主張する解雇理由に合理性・社会的相当性があるかどうかが争点となるため、 解雇事案においては、使用者に解雇理由を特定させることが必要となります。

 労働基準法では、

  1. 労働者が解雇によって退職する場合、 解雇の理由について証明書を請求した場合には、 使用者は遅滞なくこれを交付しなければならない(労基法22条1項)、
  2. 解雇の予告がされた日から退職の日までの間において、 労働者が解雇理由の証明書を請求した場合には、 使用者は遅滞なくこれを交付しなければならない(労基法22条2項)、と規定されています。

 従って、解雇された場合には、 労働者は、解雇理由証明書又は退職証明書の発行を会社に要求し、 解雇理由を特定させる必要があります。

 特に、後日裁判となった場合には、 会社側が解雇理由を追加で主張してくることもあるので、 初期の段階で使用者が主張する解雇理由を特定させることは非常に重要であると言えます。

4.一方的に支払ってきた解雇予告手当・退職金の取り扱い

 解雇無効を争いたいと弁護士に相談してくる相談者の中には、 会社から解雇された際に、法律の規定に従って解雇予告手当の支払いを要求したり、 退職金の支払いを会社に求めたりする方もいます。

 ただ,解雇無効を主張しつつ、 自ら解雇予告手当の支払いを求めるなど解雇(退職)を前提とした行動を取ることは、 解雇無効を主張することと矛盾することになります。そこで、事案によっては、 そのような行動が使用者による合意解約の申し入れに対する承諾を裏付ける行動であるとして、 合意解約の成立が認められてしまうおそれがあります。

 ですから、解雇無効を本当に争いたいという場合には、こうした矛盾する可能性のある言動をあらかじめ慎んでおく必要があります。

 また、同じような観点から、会社側が一方的に解雇予告手当や退職金を振り込んできた場合には、 振り込まれた金員はそれ以降発生する 未払賃金の一部に順次充当する旨を通知しておくことが望ましいでしょう。

5.解雇無効の主張と雇用保険

 次に、雇用保険についてですが、 受給資格者が解雇や退職等により失業した場合には、 失業給付の支給を受けることができます。裁判で解雇の効力を争って、雇用関係の継続を主張する場合には、 仮給付という形で失業給付を受給することができます。

6.退職勧奨

 「退職勧奨」とは、 使用者が労働者に対して、労働契約の合意解約を申し込んだり、 解約の申込を誘引したりする行為をいいます。

 判例では、退職勧奨は、雇用関係のある者に対し、 自発的な退職意思の形成を促す行為にすぎず、 「被勧奨者は何らの拘束なしに自由に意思決定をなしうるのであり、 いかなる場合も勧奨行為に応じる義務はない」 (鳥取地裁昭和61年12月4日)とされています。 

 従って、退職勧奨を受けたとしても、 労働者は退職勧奨に一切応じる義務はないことから、 退職の意思がない場合には、きっぱりと断ることが大切です。きっぱりと断ったにもかかわらず、退職勧奨が止まない場合には、 弁護士から内容証明郵便にて、 退職勧奨を止めるよう通知する方法が考えられます。

 また、(会社に居づらいなどの理由で) やむなく退職を受け入れる場合には、 退職の条件について会社と交渉することになります。

 退職の条件については事案によってさまざまですが、 例えば、労働者側に退職勧奨を受ける合理的な理由 (いわゆる解雇に相当する理由)がない場合には、 通常の退職金のほかに、 転職活動に要する数ヶ月分の賃金額を特別退職金として 上乗せするなどの条件を要求することが多いといえます。

7.解雇無効を争いたいのに退職届を出してしまった場合には

 退職勧奨に応じなかったら懲戒解雇になると告知され、 不本意ながら退職届を出してしまった場合、なお解雇無効を争いたいという場合には、どうすれば良いのでしょうか?

 判例上、会社に提出された退職届は、 原則的に合意解約の申込みと解されており、 使用者がその申込みを承諾するまでの間は撤回できると解釈されています。 従って、会社の規模や社内の取扱いにもよりますが、 退職届の最終的な決裁権限を有する人(例えば、人事部長など)が 正式に受理するまでに、早急に退職届撤回の意思表示を行う必要があります。

 それでは、この撤回の意思表示が間に合わなかった場合には、 もう争う手段はないのでしょうか。

 例えば、従業員に懲戒事由がないにもかかわらず、 「退職勧奨に応じなかったら懲戒解雇となるよ。 懲戒解雇となった場合には退職金も出ませんよ。」などと脅されて、 退職届を提出させられたような事情がある場合には、 「強迫」による意思表示(民法96条)として、 退職の意思表示を取り消すことができる場合があります。

 他にも、例えば、解雇もしくは懲戒解雇事由が存在しないのに、 解雇(又は懲戒解雇)になると誤信して退職の意思表示をしてしまった場合に、 当該意思表示を錯誤により無効(民法95条)と判断された事例もあります。

 以上のように、 退職の意思表示の取り消しや無効が認められることは実際上多くはないですが、 退職届をすでに出してしまったような場合にも、解雇の無効を、法律上争いうる余地がありますので、 諦めずに、お早めに弁護士に相談されることをお奨めします。

賃金

1.労働時間の定めについて

 労働基準法において,労働時間は週40時間,1日8時間を超えてはならないと定められており(労基法32条),労働時間が6時間を超える場合には少なくとも45分以上,8時間を超える場合には少なくとも1時間以上の休憩時間を与えなければならないとされています。

 例外として,労基法36条に定められている労使間の協定(三六協定)があれば,この範囲で残業させることが可能です。

 もっとも,「1日8時間、1週40時間」を超過して働いた場合には,その超過した時間分の賃金に加えて割増賃金を得ることができます。

 例えば,所定労働時間が午前9時から午後6時まで(昼休み1時間)の8時間と定められている場合に,午後8時まで勤務すれば、2時間分の賃金と割増賃金を請求することができます。

 残業代を定めた労働基準法は強行法規であって,就業規則や雇用契約書などに残業代を支払うことが明記されていなくても (あるいは残業代を支払わないという運用が社内で行われていたとしても),残業代は法律上当然に支払う義務があります。

2.残業代の算定方法は?

(1)残業代の算定基準
  • 残業代(時間外労働手当)の算定については,「実労働時間」をもって算定します。
  • 「実労働時間」は,実質的な見地から「会社の指揮命令下におかれている時間」をいいます。マンション管理人や警備員など仮眠時間のある職種の場合など,労働時間にあたるか否かが問題となるケースがあります。
(2)具体的な残業代の算定方式

【時間外労働】

  • 「通常の労働時間又は労働日の賃金額の計算額」×1.25×時間外労働時間数

【休日労働:所定の休日に労働させた場合】

  • 「通常の労働時間又は労働日の賃金額の計算額」×1.35×休日労働時間数

【深夜労働:午後10時から午前5時までの間】

  • 「通常の労働時間又は労働日の賃金額の計算額」×1.25×深夜労働時間数

☆ 平成22年4月1日に改正労働基準法が施行され、 1か月の労働時間が60時間を超える部分については割増率が50%以上に引き上げられました (但し、中小企業には猶予措置があります)。

(3)通常の労働時間又は労働日の賃金額の計算額

  「通常の労働時間又は労働日の賃金額の計算額」は、通常、

  • 月給を 
  • その月における所定労働時間数(月によって所定労働時間数が異なる場合においては、1年間における月平均所定労働時間数)で
  • 除した金額をいう

 と規定されています(労基則19条4号)。

 また、この基礎となる賃金額に、各種手当の金額を含めるかどうかについては、 労働基準法施行規則21条に規定があります。

  • 「住宅手当」や「1ヶ月を超える期間ごとに支払われる賃金」(いわゆる賞与)は 基礎賃金額に算入しないとされていますが、この取扱いは手当の名称に関係なく、 実質的に判断されることになります。 
(4)時間外労働・深夜労働・休日労働が重なる場合

 時間外労働が深夜労働と重なる場合は、

 重なる部分についての割増率は50%以上となり(労基則20条1項)、

 休日労働が深夜労働と重なる場合は、

 重なる部分についての割増率は60%以上となります(労基則20条2項)。

 但し、休日労働として時間外労働が行われた場合は、休日労働の規制のみが及ぶことから、 8時間を超える労働の部分についても深夜に及んでいないかぎり割増率は35%でよいとされています。

(5)変形労働時間制、裁量労働制、事業場外労働のみなし制

 なお、会社によっては、変形労働時間制、裁量労働制、 事業場外労働のみなし制が採用され、残業代の算定にあたっては特別の配慮が必要となる場合もありますので、 詳しくは弁護士にご相談ください。

セクハラ

1.セクハラ(セクシュアル・ハラスメント)は,もっとも広い意味では,「性的嫌がらせ」または「相手の望まない不快な性的言動」を指します。

 以下のようなものが挙げられます。

  • 出張中の車中において上司が女性労働者の腰,胸等に触ったが,抵抗されたため,その女性労働者について不利益な配置転換をした。
  • 会社内で顔を合わせると必ず性的な冗談を言ったり,容姿,身体に関することについて聞く。
  • 上司が仕事中に体に触ったり,しつこくメールを送ってくる。
  • 業務と関係のない食事やデートへ,しつこく誘う。

2.セクハラは,「相手の望まない」不快な性的言動で,女性に限定していませんので,男性に対するセクハラも対象になります。

 

3.セクハラになるかどうかは,どのように判断したらいいのでしょうか。

 判断基準ということであれば,一般通常人としての女性または男性の感じ方ということになります。

 もっとも,被害者個人の感じ方によって変わってきますので,セクハラとは,行為を受けた本人が不快に感じるか,あるいは不利益を被るかどうかが問題だということから,「あなたが(私が)その行為を望まない」なら主観的には「セクハラ」だと主張することに問題はないでしょう。

 裁判所は,主観的なセクハラのうち,社会通念上相当性を逸脱し,損害賠償請求を認容するべき程度のものに達したものについて,民法上の違法性を認めています。

 セクハラを受けた場合,法律的にはどのような請求ができるのでしょうか。

 相手方本人に対しては損害賠償請求(不法行為責任)をすることができますし,会社に対しても労働環境を整える義務を怠ったものとして損害賠償請求(債務不履行責任)をしたり,使用者責任を問うことも考えられます。

4.セクハラを受けた場合は,まず,何をすればいいのでしょうか。

  1. 「やめて欲しい」とはっきり明示する。
    ※ 相手に誤解を与えないような行動をとる必要がある。
  2. セクハラをする人は,セクハラ行為をしたこと自体を否定することが多いので,証拠を残しておく必要があります。

 証拠の残し方としては,.

1.事情を整理し,証拠を集める。

 ① 細かくメモを残すようにする。

 《メモのポイント》

  1. いつ(日付)
  2. どこで(場所)
  3. だれが(加害者)
  4. 言動・行動(具体的なやりとり)
  5. 周囲にいた人(証人),周囲の状況
  6. その後の相手との交渉経過

 ② 犯行現場の会話をボイスレコーダーで録音したり,録画したりする。

 2 味方(証人になってくれる人)をつくる。

   ※ その人が信用できる人間かどうかの見極めも重要。

2.その後の対処方法としては,
  1. 中立的な立場の人や社内相談窓口に相談する。
  2. 労働基準監督署に相談する。
  3. 内容証明郵便を送る。
  4. 損害賠償請求訴訟を提起する。

といったことが考えられるでしょう。あなたの職場で何が一番適切なやり方であるかは,十分に弁護士と協議する必要があります。

パワハラ

1.パワハラ(パワーハラスメント)とは,仕事状の上下関係・権利関係を不当に利用することによる「嫌がらせ」「いじめ」を指します。

 例えば,次のようなものが挙げられます。

  • 些細なミスを執拗に非難する。
  • 机を叩いたり,物を投げたりして,恐怖感を与える。
  • 意見の合わない(反論した)部下を,別の部署に異動させる。
  • 飲み会への参加を強制する。
  • 他の社員の前で,「死んでしまえ」「人間のくず」など相手の人格を否定する暴言で叱責する。
  • 無視をする。仲間はずれにする。
  • 正当な理由を装って,仕事を取り上げ何もさせない。
  • 相手の評判を落とすような,悪口や噂を言いふらす。

2.パワハラになるかどうかの判断基準としては,

  • 明らかに職務の範疇を超えた行為であること。
  • 被害者側が精神的苦痛を感じていること。

 ということになりますが,とても曖昧です。

 パワハラに遭った場合も,セクハラの場合と同じように対処して下さい。

3.パワハラによる労災保険申請

 労災保険とは、労働者災害補償保険法(一般的に「労災保険法」と略さています)に基づき、業務上の事由による労働者の負傷・疾病・障害又は死亡に対して労働者やその遺族のために、必要な保険給付を行う制度です。

 労働災害が業務に起因した(業務起因性)と認められた場合には、保険給付がなされることになっています。例えば、パワハラにより、(1)療養が必要となった場合には、必要な療養費が、(2)休業することになった場合には、休業補償が、(3)精神疾患にかかったような場合には、障害の程度によって、障害補償年金が、(4)被災労働者が自殺するに至ったような場合には、遺族補償年金が、給付されます。障害補償年金や遺族補償年金は、被災労働者の逸失利益や慰謝料を填補するものといえるでしょう。

 従来、労働基準監督署長は、パワハラについて、上司の暴言には行き過ぎはあったが、決してそれが精神障害の発病の唯一の原因であるとはいえないとして、業務起因性を認めず、パワハラの労災認定について消極的傾向にありました。

 しかしながら、下記で紹介する東京地裁平成19年10月15日判決において、パワハラ自殺につき労災を認め労働基準監督署長の不支給処分を取り消したことを契機に、パラハラも労災として認定されるようになりました。

 パラハラを受けた被災労働者、及び、パラハラによって自殺した者の遺族は、所定の保険給付請求書に必要事項を記載して、被災労働者の所属事業場の所在地を管轄する労働基準監督署長に提出することによって、労災保険を申請することができます。なお、労災保険は、下記の表のとおり、消滅時効期間(労災保険法第42条)があり、この期間が経過すると給付を受けられなくなりますので、注意が必要です。

4.パワハラによる損害賠償請求

 将来の逸失利益、被災労働者の慰謝料、遺族の慰謝料など、労災保険給付では、賄えない損害が生じる場合があります。

 この場合には、使用者(雇い主)および上司に対して、不法行為ないしは安全配慮義務違反を根拠に不足分について損害賠償請求をなしえます。労災保険給付の申請とともにすることが出来ますが、労災保険によって、受けた金額の限度で、使用者および上司の責任を控除するという形で受給調整がなされています(労災保険法第64条1項)。また、逆に、先に使用者および上司に対する損害賠償請求が認められた場合においても、認容された額に応じて、労災保険給付がなされない可能性があります(労災保険法第64条2項)。

 このように、二重取りは禁止されているものの、労災保険給付だけでは、賄えない損害が生じている場合には、使用者および上司に対して損害賠償請求をするという手段を採ることができます。なお、訴訟においては、精神疾患や自殺の原因として、上司のパワハラの他に、被災労働者の性格等もあったとして、心因的素因を理由とする過失相殺(3割~6割程度)がなされる事案も多いですが、組織ぐるみの職場いじめやパワハラの程度が著しい場合には、過失相殺がなされない傾向にあります。

労働事件の解決のための手続

◎ 解雇された,賃金や残業代を払ってもらえないといった労働トラブルに巻き込まれた場合,これをどのような手続きで解決できるのでしょうか。

1.紛議調整委員会によるあっせん

 平成24年の統計資料によると,民事裁判全体の平均審理期間,訴訟を起こしてから判決和解などで1審が解決するまでの時間は7.8か月なのに,労働関係訴訟の平均審理期間は13か月で,倍とまではいいませんが,通常の民事裁判よりも時間がかかっているのが実態です。
 そこで,労働局では,労働局における相談・情報提供,労働局長による助言・指導,紛争調整委員会によるあっせんという3つの制度を提供しています。
 この紛争調整委員会によるあっせんは,弁護士等の学識経験者である第三者が公平・中立な立場で紛争当事者の間に入り,紛争の円満な解決を図る制度です。両当事者が希望した場合は,具体的なあっせん案を提示することもできます。このあっせんには費用がかからないというだけでなく,2か月程度で多くの事件が処理されるという迅速さがあります。
 もっとも,あっせんについては,必ずしも使用者がこの手続に参加しなくてもよいということになっていることから,取下げや打切りで終了されているものが少なくありません。あっせんによって,必ずしも多くの労働者が満足のいく解決をみているわけではありません。

2.労働審判

 裁判は時間がかかる,だけどあっせんでは解決できない場合も少なくないとすると,労働トラブルに巻き込まれた労働者はどうすればよいのでしょう。
 この点,解雇や給料の不払など,事業主と個々の労働者との間の労働関係に関するトラブルを,そのトラブルの実情に即し,迅速,適正に解決することを目的として労働審判手続が開始されています。
 労働審判手続は,裁判官らで構成される労働審判委員会が,個別の労働紛争を,原則として3回以内の期日で審理するというものですが,裁判所の統計によれば,平均審理期間は74.9日です。労働審判で話し合いがまとまらず,労働審判委員会の下した審判について異議が申し立てられると,事件は通常の訴訟に移行するのですが,80%前後の事件は通常訴訟に移行することなく終了しており,この労働審判の手続を利用すれば,通常の民事裁判よりもかなり短い時間でトラブルを解決することが可能となっています。
 訴訟の場合,労働事件も姫路の裁判所で申立できるのですが,労働審判は姫路の裁判所では行っておらず,神戸の裁判所に申立をしなければなりません。また,あっせんが行われる場所も兵庫労働局ですから,やはり神戸まで出向かなければなりません。

 それでも,あっせん,労働審判,特に労働審判にはトラブルを迅速に解決できるというメリットがありますから,事実関係がはっきりしていて,例えば残業代を請求する事案におけるタイムカードのように必要な証拠もそろっている事案では労働審判を利用すべき事案が少なくないと思います。

 逆に,事実関係が複雑で,証拠も現時点では手元に十分なものがないという場合,通常の裁判を起こすことを考えざるを得ない事案もかなりあります。

 詳しくは弁護士にご相談ください

近時の重要裁判例

 労働問題に関する近時の重要裁判例を掲載します。

タイムカードの文書提出命令を取り消した高裁決定を破棄した最高裁決定

 最判(2小)平成23年4月13日最高裁判所民事判例集65巻3号1290頁

主文及び理由

主文

 原決定を破棄する。
 本件を東京高等裁判所に差し戻す。

理由
  1. 1 本件は、抗告人が、相手方に対し、時間外勤務手当の支払を求めて提起した訴訟(以下「本案訴訟」という。)において、同手当の計算の基礎となる労働時間を立証するために、相手方の所持する抗告人のタイムカード(以下「本件文書」という。)が必要であると主張して、本件文書について、文書提出命令の申立て(以下「本件申立て」という。)をした事案である。原々審は、本件文書の提出を相手方に命じた。これに対し、相手方が、本件文書を所持している事実を争って即時抗告をしたところ、原審は、上記事実を認めるに足りないとして、原々決定を取り消し、本件申立てを却下した。
  2. 抗告代理人牧原秀樹の所論に鑑み、職権をもって検討する。
    本件文書は、本案訴訟において、抗告人が労働に従事した事実及び労働時間を証明する上で極めて重要な書証であり、本件申立てが認められるか否かは、本案訴訟における当事者の主張立証の方針や裁判所の判断に重大な影響を与える可能性がある上、本件申立てに係る手続は、本案訴訟の手続の一部をなすという側面も有する。そして、本件においては、相手方が本件文書を所持しているとの事実が認められるか否かは、裁判所が本件文書の提出を命ずるか否かについての判断をほぼ決定付けるほどの重要性を有するものであるとともに、上記事実の存否の判断は、当事者の主張やその提出する証拠に依存するところが大きいことにも照らせば、上記事実の存否に関して当事者に攻撃防御の機会を与える必要性は極めて高い。
    しかるに、記録によれば、相手方が提出した即時抗告申立書には、相手方が本件文書を所持していると認めた原々決定に対する反論が具体的な理由を示して記載され、かつ、原々決定後にその写しが提出された書証が引用されているにもかかわらず、原審は、抗告人に対し、同申立書の写しを送付することも、即時抗告があったことを抗告人に知らせる措置を執ることもなく、その結果、抗告人に何らの反論の機会を与えないまま、上記書証をも用い、本件文書が存在していると認めるに足りないとして、原々決定を取り消し、本件申立てを却下しているのである。そして、記録によっても、抗告人において、相手方が即時抗告をしたことを知っていた事実や、そのことを知らなかったことにつき、抗告人の責めに帰すべき事由があることもうかがわれない。
    以上の事情の下においては、原審が、即時抗告申立書の写しを抗告人に送付するなどして抗告人に攻撃防御の機会を与えることのないまま、原々決定を取り消し、本件申立てを却下するという抗告人に不利益な判断をしたことは、明らかに民事訴訟における手続的正義の要求に反するというべきであり、その審理手続には、裁量の範囲を逸脱した違法があるといわざるを得ない。そして、この違法は、裁判に影響を及ぼすことが明らかであるから、その余の点について判断するまでもなく、原決定は破棄を免れない。そこで、更に審理を尽くさせるため、本件を原審に差し戻すこととする。
    よって、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり決定する。

 (裁判長裁判官 古田佑紀 裁判官 竹内行夫 裁判官 須藤正彦 裁判官 千葉勝美)

65歳定年制の私立大学で大学が再雇用契約を締結しないことが権限濫用に当たるとした事例

 東京地裁平成28年5月10日民11部判決・判時2325号129頁,労判152号51頁〔控訴〕

主文(抜粋)

  • 原告と被告との間において,原告が被告の設置する□□大学に定年に達する専任教員として引き続き勤務する地位を有することを確認する。
  • 被告は,原告に対し,平成27年4月1日から本判決の確定まで,毎月末日限り,月額45万8100円及びこれらに対する各支払日の翌日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。

事実及び理由 (抜粋)

第2 事案の概要
 本件は,平成19年4月1日に被告の設置する□□大学(以下「本件大学」という。)の専任教員として雇用されたところ,平成26年度中に満65歳となり,本件大学の就業規則所定の定年を迎えた原告が,(中略)定年を満70歳とする労使慣行が存在する,あるいは被告が原告との間で再雇用契約を締結しないことは権限濫用に当たると主張して,被告に対し,特別専任教員としての再雇用契約に基づく法的地位の確認を求めるとともに,再雇用契約に基づく賃金の支払を求める事案である。

1(略)

 

2 争点

 本件における主な争点は,

  1. (略),
  2. 本件大学において,定年を満70歳とする労使慣行(略)が存在するか,
  3. 被告が原告との間で再雇用契約を締結しないことは権限濫用に当たるか,
  4. (略)であ(略)る。

【原告の主張】

(1) (略)
(2) 本件大学には定年を満70歳とする労使慣行(本件労使慣行)が存在する
  •  本件大学総合政策学部では,平成12年の開設以来,平成25年に至るまで,一人の例外もなく,実質70歳定年制が反復継続されて定着し,確定的な労使慣行として存在した。そして,この確定的慣行は,被告と被告に雇用されている専任教員との間の雇用契約の基本的な内容になっていた。実際に,本件大学の専任教員は,定年である満65歳を迎えても,教員の病気や死亡等の事由による退職でない限りは,継続して満70歳に達するまで特別専任教員として勤務していた。
  •  これに対し,被告は,労使慣行が成立したといえるには,最低でも30年ないし50年以上の年月の経過が必要であると主張するが,ここでは事実たる慣習(民法92条)が問題になっているわけではないので,被告の主張は理由がない。
(3) 被告が原告との間で再雇用契約を締結しないことは権限濫用に当たる
  • 被告は,「専任教員の定年に関する特別規程」の5条に「勤務を委嘱することができる」との規定があることから,全ての特任専任教員の採否は理事長の自由裁量であり,採用する,しないは理事長の自由であると主張する。
  • しかし,そもそも,「できる」という権限規定があるからといって,直ちに自由裁量が認められるわけではない。
  • しかも,65歳以前に専任教員として雇用された者の雇用延長については,前記規程とは別に「定年に達する専任教員の勤務内規」という規程があり,その2条では採否に関する学部長の審査権など権限行使の手続が明確に定められていて,これは,65歳より前に採用された専任教員の雇用延長に関する特別規定として一般規定に優先し,雇用者側の恣意的評価に基づいて採否が決せられないようにする手続的保障としての意義を有するものである。
  • 加えて,前述のとおり,本件雇用契約においては本件合意が,また,本件大学総合政策学部では本件労使慣行の内容たる慣例が存在し,本件労使慣行は本件雇用契約の内容を補充するものであるにとどまらず,65歳時の雇用延長の可否を判断する際に考慮されるべき重大な事項である。
  • しかるに,被告が,雇用延長の可否の判断は理事長の自由裁量である旨をいうのは,この判断が恣意的に行われたことを自認するものであり,後になって,雇用延長を認めるのは例外的な場合であるとして基準らしきものに言及しているが,その内容は客観的なものではなく,これも恣意的判断を糊塗するための見せかけに過ぎない。
  • この点,被告は,「学生による評価」や「人間性」等も評価の対象になるとするが,これらは教員の業績を審査するための適切な考慮要素とはならない。そもそも,「学生による評価」は,教員自身が自己の授業の改善に用いるという了解があったはずであるし,原告の「人間性」につき,総合政策学部のH学部長がおらず,原告と面識のない理事が多数を占める理事会で,公正な評価をなし得るとは思われない。
  • なお,付言すると,雇用延長に当たっての審査権は学部長に付与されているが,これも自由裁量を与えたものではなく,教学の観点から,雇用延長の適否を決める基準は自ずと存在するところ,この学部長の審査を経てもなお雇用延長を認め難いと理事会が判断し,理事長が雇用延長を認めない場合がないとは言い切れないにしても,それは,要するに解雇(懲戒解雇又は整理解雇)に相当する事由がある場合であり,それらの場合には相応の手続をとる必要があるものと解される。
  • 以上によれば,原告について雇用延長を否定したG理事長の判断は,裁量権の逸脱ないし濫用であり,被告が原告との間で再雇用契約を締結しないことは,権限濫用に当たる。
(4)(略)

【被告の主張】

(1) (略)
(2) 本件大学には定年を満70歳とする労使慣行(略)は存在しない

 次の間接事実からすれば,原告が主張する本件労使慣行の存在は認められない。

  • ア 「慣行」が存在するといえるほどの年数が経過していない
    本件大学は,平成12年4月に短期大学を改組して4年制の大学として開学したものであり,平成27年3月の時点では開学時から15年を経過したに過ぎない。しかも,そのうち4年間は,文部科学省の設置基準により,種々の届出事項が原則として変更できないことになっており,教員についても同様に扱われていたため,原則として教員の入替はできないこととされていた。この4年間を差し引いて考えれば,平成27年3月の時点ではわずか11年しか経過していないこととなる。
     一般に,「慣行」が出来上がったといえるためには,最低でも30年ないし50年以上の年月の経過が必要とされるものと思われるが,本件大学ではわずか11年,開学時からカウントしても15年しか経過していないのであるから,時間的,年数的な観点からみて「慣行」が出来上がったなどとは到底評価できない。
  • イ 「慣行」が存在するといえるほどの退職教員数がない
     各年度の退職者の年齢等に関する「総合政策学部退職教員詳細一覧(退職年度・退職時年齢順)」によれば,平成12年4月の開学時から平成27年3月末日までの総合政策学部教員のうち,65歳以上で退職した教員の総数は,途中死亡により退職した1名を除けば23名であるが,この23名のうち,65歳未満で採用され,70歳以上の年齢で退職した教員は7名(30.4%)に過ぎない。
     一方で,65歳以上で退職した教員のうち,65歳以上で採用された教員は15名(65.2%)であるが,採用した時点で65歳以上になっていた教員は,定年制度の適用はないし,何ら問題がない限り70歳まで雇用することが極めて自然であるから,本件における慣行の前例としてカウントするのは妥当でない。採用した時点で65歳以上になっていたこれらの教員は,他に若年の適当な教員が見つからないとか,その分野で比較的著名であるといった理由がある場合に,最初から65歳の定年退職年齢を超えていることを承知で,雇用期間1年の特別専任教員として採用したものである。
     このように,70歳以上の年齢時に退職した教員のうち,過半数である65%の者が65歳以上の年齢時に採用された教員である。
     因みに,東京地裁平成14年12月25日判決では,過去20年間にわたり65歳以上70歳未満までの定年延長を希望した73名の教員全員が定年を延長されていたという事実関係を基に,満70歳までの定年延長の労使慣行を認定しているが,少なくともこの程度の年数や教員数がなければ「慣行」とは言えないと思われる。
  • ウ 70歳までの継続雇用を約束する旨の文言が記載されているような文書を交付した事実がない
    このように重要な身分事項については,書面によって約束され,交付されることが通例であると考えられるところ,また,本件大学には前述の就業規則があることから,就業規則の内容に反する取り決めがなされる場合には,何らかの書面が交付されるであろうと思われるところ,そのような書面が交付された事実はない。
  • エ 70歳までの継続雇用を約束した労働協約はなく,労働組合との団体交渉で協議された例もなく,労働組合側から就業規則の改定を要求されたこともない
    一般に「労使慣行」の成立が認定されるためには,数十年以上の期間にわたって一定の慣行が積み重ねられたという実績が必要であるとともに,労使間においてその慣行のきっかけとして関係協議が行われることが多いところ,被告と労働組合との間ではそのような交渉などはこれまでされていない。
  • オ 本件大学が定年退職後の再雇用契約に関して規範意識をもって作業を行った事実はない
    「規範意識をもって」というためには,過去における合意または慣行その他の動機によって,「そのようにするべきだ」または「それに従わなければならない」という認識の下に行ってきたことを要すると思われるが,本件大学にはそのような意識はなかった。平成12年度から平成26年にかけて,本件大学が定年退職後に再雇用契約を締結することが多かったのは事実であるが,これは,当該教員が残ってもらいたい教員であったとか,当該教員の担当講座の後任者が容易に見つからないといった個別の事情があったから再雇用契約を締結したに過ぎない。
(3) 原告の権限濫用の主張はその前提を欠いている
  • 原告は,被告が原告との間で再雇用契約を締結しないことが権限濫用に当たると主張するが,この主張は,結局,定年を満70歳とする合意(本件合意)か定年を満70歳とする労使慣行(本件労使慣行)が存在することを前提にして初めて成立し得る主張である。
  • ところが,前述のとおり,定年を満70歳とする合意(本件合意)は存在せず,定年を満70歳とする労使慣行(本件労使慣行)も存在しないから,原告の主張は理由がない。
  • なお,本件大学では,ここ数年来,65歳定年制とか,それ以降の有期雇用契約の更新という問題が大学経営上の重要な問題として議論されてきた。そして,平成25年10月3日の大学改革プロジェクト会議において,G理事長兼学長は,本件大学を取り巻く経営環境の悪化(本件大学への志願者数,入学者数の減少,総合政策学部における平成24年度の定員割れ,週刊誌上の全国大学ランキングで本件大学が560校中最下位に位置づけられたこと等)を受け,従前議論してきた学生から見た魅力ある学科への再編策との関係で,65歳までの教員の雇用の優先確保,65歳定年制の厳格運用,教員の質の向上と若返り等を内容とする基本方針を提案した。また,この席上において,数年前から経営上層部で議論してきた65歳定年制の厳格運用について,今後は本件就業規則の規定を最大限尊重していこうということを再確認した。
  • 総合政策学部については,その後,入学者数が平成25年度には辛うじて持ち直したものの,平成26年度には再び定員割れを起こしており,翌平成27年度からは,同学部教授会とも協議の上,総合政策学科の定員を80名削減している。このように,学生の定員が減少するということは,それによる収入の減少に対応して経費の抑制をせざるを得ないことに繋がるのであり,そのためには,固定経費として経費部門で大きな比重を占めている人件費の抑制に手を付けざるを得ないことになる。その場合,定年までの雇用は当然維持しなければならないのに対し,定年後の雇用については,前述のとおり,本件就業規則により弾力的な運用に委ねられていることから,経営側としては,当然ながら定年の規定を厳格に運用していく必要がある。
  • その上で,再雇用に関する審査の流れは次のとおりである。
     内部審査としては,まず,当該教員の所属する学部の教授会において,当該教員を再雇用することの可否を,主に教育指導面,組織運営面等の4項目について協議する。教員同士の間では,互いの研究実績,授業態度,学生からの評価等まで把握,理解できず,教授会,委員会など顔を合わせる場における互いの言動程度しか情報を持ち合わせないことから,教授会での協議の結論は,ほとんど全ての教員について再雇用を可とするのが一般である。
     この協議の結果は,当該学部の学部長名で学長宛ての上申書として提出される。上申書が理事会に提出される時点では,学科長,学部長及び学長の意見も付されており,理事会においては,この上申書の内容や,当該教員の過去の本件大学への貢献度,教授会,委員会等における活動実績,研究や論文発表における業績,学生からの評価,人間性等を資料として,当該教員を再雇用することの可否を審議する。
     この理事会では,理事の総意によって当該教員を再雇用するか否かを決定し,意見が分かれた場合には多数決によって決定する。なお,この理事会の議長は,本件大学寄附行為18条7項にしたがって理事長が務め,最後に理事長が,理事の総意を尊重しつつ理事長としての意見も述べ,決議をすることになっている。このようにして理事会で議決された人事事項は,翌日以降,議決どおりに執行されることになり,各教員に対しては,理事長からの執行指示に基づき,教務部門の責任者である学長が学長名義で通知する実務となっている。
(4)(略)

第3 当裁判所の判断

1 (略)
2 本件労使慣行に関する原告の主張について

(1)

  • 原告は,本件大学総合政策学部では,平成12年の開設以来,平成25年に至るまで,一人の例外もなく,実質70歳定年制が反復継続されて定着し,確定的な労使慣行(本件労使慣行)として存在しており,本件労使慣行は,被告と被告に雇用されている専任教員との間の雇用契約の基本的な内容になっていたと主張する。
  • この点,労使慣行については,①当該労使慣行が長期間にわたって反復継続し,②当該労使慣行に対して労使双方が明示的に異議をとどめず,③当該労使慣行が労使双方,特に使用者側で当該労働条件について決定権又は裁量権を有する者に規範として認識されていることを要すると解されているところ,原告は,基本的には同様の理解を前提として,本件ではこれらの要件が満たされており,被告には実質70歳定年制を内容とする労使慣行が存在する旨を主張しているものと解される。
  • そこで,検討するに,ある労使慣行が前記要件を満たし,法的効力を認められるか否かは,当該慣行が形成されてきた経緯を踏まえ,その内容,合理性,就業規則等との関係,反復継続性の程度,定着の度合い,労使双方の意識など諸般の事情を総合的に考慮して検討すべきものであり,特に就業規則と矛盾抵触する内容の労使慣行が法的効力を認められるには,その慣行が相当長期間,相当多数回にわたって広く反復継続され,かつ,当該慣行についての使用者の規範意識が明確であることを要するものと解するのが相当である(大阪高等裁判所平成5年6月25日判決・労働判例679号32頁参照)。
  • これを本件についてみると,原告の主張する本件労使慣行は,明らかに本件就業規則と矛盾抵触する内容になっている。
  • ところで,本件大学は,平成12年4月に短期大学を改組して4年制大学として開学し,その際,総合政策学部を新設している(前提事実(1))が,このような新設大学の新設学部が教員を集めるには困難が伴い,そのため,既に新設大学の定年に達している者であっても,他に候補者を見出し難ければ,定年後再雇用といった形式で採用する場合の多いことは容易に推測されるところ,「総合政策学部退職教員詳細一覧(退職年度・退職時年齢順)」(乙17)及び弁論の全趣旨によれば,本件大学総合政策学部でも当初はそのような教員の多かったことが認められる。こういった教員の場合には,採用の時点で既に定年を超えているので,定年後に再雇用された者がどのような処遇を受けるかという点との関係はともかく,定年前の年齢で採用された者が定年後に再雇用されるか否かという点とは関係がなく,この意味で,採用時に既に65歳の定年に達していた教員は,原告の主張する本件労使慣行とは無関係である。そこで,採用時には65歳に達しておらず,その後,65歳に達した教員についてみると,平成12年4月から平成27年3月までの総合政策学部の教員のうち,65歳未満で採用され,65歳で退職した者はおらず,全員が65歳を超えてから退職しているものの,その人数は全体でも7名にとどまっており,70歳を超えて退職した者は6名で,その前に自己都合退職した者が1名いる(乙17)。この間15年間が経過しているものの,一般に開学後4年間の所謂「完成年度」までの間は文部科学省の設置基準により原則として教員の入替はできないと解されること(乙8の1・2,弁論の全趣旨)からすると,労使慣行が形成されたと評価できるか検討すべき期間は11年間にとどまるといえるところ,65歳未満で採用された者が65歳に達しても退職しない事例がみられるようになったのは,開学後4年間を除くと,平成21年度以降のことである上,平成19年度には本件大学総合政策学部にライフマネジメント学科が設置されたこと(甲27)から,同学科の「完成年度」までの4年間を考慮するとすれば,労使慣行が形成されたと評価できるか検討すべき期間は更に短くなり,この期間中に65歳に達しても退職しなかった事例は更に少なくなる。
  • さらに,こういった事例が被告にどのように認識されているかをみると,これらが本件就業規則を排斥する規範に基づくものとして明確に認識されていたと認めるに足る的確な証拠は見当たらず,むしろ,本件就業規則が緩やかに運用される結果として認識されていた様子がうかがわれる(弁論の全趣旨)。
  • とすれば,原告の主張する本件労使慣行については,法的効力を認めるまでには至らないというべきであって,ほかに原告の主張を認めるに足る証拠はない。関係者の前掲陳述書(甲14,16,17,19,20)もこの認定,判断を直ちに左右するものではない。

(2) したがって,本件大学に定年を満70歳とする労使慣行(本件労使慣行)が存在する旨の原告の主張は理由がない。

3 権限濫用に関する原告の主張について

(1) 原告は,被告が再雇用契約を締結しないことは権限濫用に当たる旨主張するのに対し,被告は,原告の主張は,定年を満70歳とする合意(本件合意)か定年を満70歳とする労使慣行(本件労使慣行)が存在することを前提にするところ,本件合意,本件労使慣行とも存在しないから,原告の主張は理由がない旨指摘し,主張するが,原告の主張は被告の指摘し,主張するような内容にとどまるものではなく,本件合意又は本件労使慣行の存在やその法的効力が認められないとしても,被告において原告を再雇用しないことが権限濫用に当たる場合があり得るので,以下検討する。
(2) 後掲証拠及び弁論の全趣旨によれば,前提事実記載の事実経過を含め,以下の事実が認められ,後述のように解される。
(略)

(3) 検討

  • ア 以上によれば,本件大学総合政策学部においては,労使慣行として法的効力が認められるまでには至らないとはいえ,70歳まで雇用が継続されるという一定の方向性をもった慣例が存在し,70歳まで雇用が継続されるかという点では死亡退職と自己都合退職という例外があるものの,65歳の定年で雇用が終了とならずに,希望した者の雇用は継続されるという点では例外はなかったところ,これらの雇用継続に際して実質的な協議や審査が行われていたとは認められず,この点では,本件大学総合政策学部の教員らが再雇用による雇用継続に期待することには合理性が認められる。
  • これに対し,被告は,再雇用をした事例は,当該教員が残ってもらいたい教員であったとか,当該教員の担当講座の後任者が容易に見つからないといった個別の事情があったから再雇用契約を締結した旨を主張するが,本件証拠上,特にそのような点を教授会において協議し,あるいは理事会において審議したとは認められないことは前述のとおりである。また,この点に関して,G理事長から原告に対する回答書には,再雇用が例外的な扱いであり,大半の専任教員は再雇用を認められていない旨の記載があるが,そのような事実を裏付ける証拠はない。
  • イ しかして,本件大学では,平成25年度の数年前から議論があり,平成25年度には,G理事長から,本件就業規則を尊重し65歳定年制を厳格に運用するという方向性が打ち出された経緯があり,同年度からは,定年後再雇用する場合の契約書について書式等を変更しているものの,こういった議論の方向性や契約書の内容をみても,抽象的に業績,能力,態度等を考慮するとしているに過ぎず,具体的な基準等が検討,作成されていたとは認められない。しかも,具体的な基準等が検討,作成されていないためか,F学長,H学部長及びG理事長が再雇用の基準に当たるものとして述べるところは,「有用」「有益」,それらの上位に当たると思われる「極めて有用」「極めて優れた能力がある」,さらには「余人をもって代えがたい」と,いわば3段階に分かれ,一貫しているとは評し難い上,実際に原告について再雇用をしない旨を理事会で審議し,あるいは,その前に上申書を作成するに当たって,F学長,H学部長及びG理事長が,それぞれどのような理由で原告が「有用な人材…とは思料されない」,「余人をもって代えがたい人物とは思わない」,「極めて有用な人材であるとは評価できない」などと判断したのかも明らかではない(なお,原告が「再雇用願さえ満足に作成することができない」とされたことについては,前述のとおり,具体的な理由の存在が推認されるところ,たとえG理事長のやり方に不満があるにしても,この書面で,これほどの表現を用いて表明すべきものとは思われず,前記のような評価を受けるのも止むを得ない面があるといえるが,これはあくまで付随的な事情として扱われている。)。最終的には,原告の質問に対し,G理事長が,再雇用はしないのが大半で,再雇用をするのは例外であって,例外として扱わないという結論に至った場合には,特別な根拠・理由など示す必要もない旨を回答していることからすれば,むしろ,基準も,具体的な事情の検討も基本的に必要がないと考えられていた様子がうかがわれる。
  • 要するに,本件大学では,大学を取り巻く経営環境の厳しさが強調され,教員の若返りが必要であるという方針ないし理念が先行し,では教員の若返りをどのようにして実現するのが相当か,従前の定年後再雇用の在り方との関係をどのように整理,調整すべきか,具体的な手続や基準をどのように整備していくのかという観点に立った検討がなされないまま,平成26年度に至って,定年後再雇用の手続を厳格に運用するという抽象的方針の下,従前の定年後再雇用の在り方とは全く異なる形で,しかも,当該教員が本件大学にとってどれほど必要な人材なのか,あるいは必要でない人材なのか,取り立てて具体的な検討はせずに,65歳の定年に達した教員らについて一律に定年後再雇用をしない旨決定したものと推認することができ,本件証拠上,これと別異に解すべき根拠は見出し難い。
  • ウ たしかに,本件就業規則(「専任教員の定年に関する特別規程」5条)は,「理事会が必要と認めたときは,定年に達した専任教員に,満70才を限度として勤務を委嘱することができる」と定めており(甲6の1),ここでは一定の裁量が認められているものと解されるし,大学の経営環境を踏まえた対策を講じること自体を不当とすべきものではないが,この裁量は全くの自由裁量であるとは解されず,この裁量権は実際の定年後再雇用の在り方と整合的に行使されるべきであるし,その行使の仕方は各教員との関係において公平であるべきであって,そのためには,客観性ある基準に基づき,かつ,具体的な事情を十分に斟酌した上で定年後再雇用の可否が判断されることが求められるところ,実際に,平成26年度に満65歳の定年を迎える専任教員たる原告について定年後再雇用の可否を検討するに当たって,理事会で審議された内容は,従前の定年後再雇用の在り方とは全く異なっており,しかも,客観性ある基準に基づくものでも,具体的な事情を十分に斟酌したものでもないといわざるを得ない。
  • これに対し,被告は,あくまで本件就業規則における定年後再雇用の手続を厳格に運用したに過ぎない旨を主張しているが,従前の経緯を無視して運用の在り方を理事会において思うままに変更する自由や,客観性ある基準もなく,具体的な事情も十分に斟酌せずに,抽象的な必要,不必要といった感覚に基づき定年後再雇用の可否を決する自由までが本件就業規則において認められているとは解し難く,被告の主張は容易に採用することができない。
  • エ そうすると,従前の定年後再雇用の在り方等に照らし,原告が再雇用による雇用継続に期待することには合理性が認められる一方で,平成26年度に満65歳の定年を迎える原告について定年後再雇用の可否を検討するに当たって,理事会で審議された内容は,従前の定年後再雇用の在り方とは全く異なっており,しかも,客観性ある基準に基づくものでも,具体的な事情を十分に斟酌したものでもなく,合理性,社会的相当性が認められないから,理事会が原告について再雇用を否定し,被告において原告との間で再雇用契約を締結しないことは権限濫用に当たり,違法無効というべきであって,解雇であれば解雇権濫用に該当し解雇無効とされる事実関係の下で再雇用契約を締結しなかったときに相当するものとして,原告と被告との間の法律関係は,平成27年4月1日付けで再雇用契約が締結されたのと同様になるものと解するのが妥当である。
  • そして,本件就業規則(「特別専任教員勤務規程」3条)では,原告と被告との間の再雇用契約は一年毎に更新されることが予定されている(甲8)ところ,平成28年4月1日以降の再雇用の継続に関して,被告は特段の主張をしていない。

(4) したがって,権限濫用に関する原告の主張は理由があり,本件地位確認請求は理由があるものとして,これを認容すべきである。

4.(略)

 

5.結論

 よって,原告の本件訴えのうち,(略)原告の本件請求は以上の限度で理由があるから,その限度でこれを認容し,その余はこれを棄却することとして,主文のとおり判決する。
 東京地方裁判所民事第11部
 裁判官 湯川克彦