はりま憲法集会2023(第45回)報告-憲法9条は幣原喜重郎が盛り込ませた-

コロナ明け。
GWのはりま憲法集会。
今年は、しっかり5月初旬に、憲法集会が開催されました。
正式名称は「第45回憲法を守るはりま集会」(憲法を守るはりま集会実行委員会主催/事務局:姫路総合法律事務所内)。
以下、報告します。メインは「憲法9条は幣原喜重郎が盛り込ませた」です。


2023年5月6日午後1時30分 姫路市市民会館大ホール
1.合唱団「希望」(指揮者土田景介、ピアノ加瀬麻里)
 ①外山雄三作曲「混声合唱のための組曲 憲法9条」
 ②地球星歌~笑顔のために~
 ③池辺晋一郎編曲「アメイジング・グレイス」
2.伊藤千尋 講演「平和で幸せを実感できる日本へ」


伊藤千尋さんの講演で印象に残ったのは、幣原喜重郎マッカーサーを説得して憲法9条を盛り込ませたというお話しです。  

Ⅰ.憲法9条の発案者については、マッカーサー説と幣原喜重郎説があります。
しかし、この論点について、最新のまとめは、法学館憲法研究所の次の論説でみるのが良いと思われます。

Ⅱ.この論説の要旨は次の通り。

  1.  1946年1月24日、幣原首相は、連合国軍総司令部(GHQ)のあった第一生命ビル6階のマッカーサー執務室を一人で訪問して、3時間近くにわたり英語で直接「秘密会談」をもち、幣原の方から、当時GHQ民政局がマッカーサーの指示を受けて“Top Secret”(最高機密)として作成準備中であった憲法改正草案に、敗戦国日本の「戦争放棄」「軍備全廃」「交戦権放棄」の条項を入れることをマッカーサーに提案し、それにマッカーサーも意気投合して「秘密合意」に達した結果、10日後にマッカーサーから憲法改正草案作成の責任者となったホイットニー民政局長に「最高司令官から憲法改正の『必須条件』として示された3つの基本的な点」(いわゆる「マッカーサー・ノート」)として指示するにいたった。
  2.  「秘密会談」による「秘密合意」にしなければならなかった歴史的背景は次の通りである。
    1.  マッカーサー連合国軍最高司令官の側は、主として連合国政府、特にマッカーサー・GHQを統制する権限をもっていた極東委員会と対日理事会に対する配慮と牽制のためであった。
    2.  一方、幣原首相の側はというと
      1.  マッカーサー・GHQが日本政府の行政機構を利用した間接占領の方式を採ったため、首相の政治権限は、大日本帝国憲法に規制され、限定されたたままであった。天皇は元首として「統治権を総攬」し、「陸海軍を統帥」する権限をもち、内閣総理大臣である首相は「天皇を輔弼」する国務大臣の首席にすぎなかった。さらに憲法改正は、天皇の「勅令」をもって発議するものとされていたので、幣原首相が天皇を差し置いて、憲法九条に相当する憲法改正案を閣議で発議する権限はなかった。
      2.  幣原内閣で憲法改正担当の国務大臣となった松本烝治の方が「国務各大臣は天皇を輔弼し其の責に任ず」(大日本帝国憲法第五五条)という権限をもち、幣原内閣の閣議決定を経ずに天皇に直接、憲法改正「松本私案」を上奏できた。
      3.  「松本私案」が大日本帝国憲法の一部を改正するにすぎないことを知っていた幣原は、当時の首相の権限では、「松本私案」を阻止できないがゆえに、熟慮のすえマッカーサーとの「秘密会談」をもって、憲法九条の構想を提案して「秘密合意」に達し、マッカーサー・GHQに「押しつけられた」形にした憲法九条の制定に「成功」した。
  3. この論説のその決め手となった史料は、次の通り。

    1.  幣原については、岐阜県選出の衆議院議員で、衆議院議長をしていた幣原の秘書役を務めていた平野三郎が、幣原の自宅を訪れて聞き書きを記録した「幣原先生から聴取した戦争放棄条項の生まれた事情について」で、1964年2月、憲法調査会(岸信介内閣により1957年に発足)の高柳賢三会長の求めにより提出した資料(「平野文書」)。
       同文書は、国会図書館の憲政資料室で閲覧することができ、鉄筆編『日本国憲法―9条に込められた魂』(鉄筆文庫、2016年)にも収録されているとのこと。

    2.  ついで、憲法九条幣原発案を裏付け、証明するのがマッカーサーが残した演説や講演の記録、および回顧録。
       マッカーサーは1946年1月24日の幣原との「秘密会談」と「秘密合意」について、幣原の死後、「幣原老首相」「内閣総理大臣幣原氏」「幣原男爵」などと幣原の名を出して、幣原の方から「戦争放棄」「武力不保持」などを新憲法に入れることを提案したことを公表した。

    3.  さらに、次のマッカーサー側の記録。
       コートニー・ホイットニー『日本におけるマッカーサー―彼はわれわれに何を残したか』(毎日新聞社)。
       ホイットニーはGHQ民政局長として憲法草案作成の責任者であったが、1946年1月24日、GHQ本部を訪れた幣原をマッカーサーの執務室へ案内し、「秘密会談」が終わって幣原を送り出した後、マッカーサーの執務室に入り、興奮冷めやらぬマッカーサーから、幣原が「新憲法に戦争と軍事施設維持を永久に放棄する条項を含むよう」発案を出して「秘密合意」が成立したことを聞き、さらにホイットニーに「国家の至高の権利としての戦争は廃棄される」という原則を含むよう指示したことが記されている、とのこと。
      1946年1月24日の幣原とマッカーサーの「秘密会談」と「秘密合意」の現場ルポのような記述である。このときのマッカーサーの指示は後日、「マッカーサー・ノート」となってホイットニーに渡された。

Ⅲ.この論説は、笠原名誉教授が書籍にまとめておられる。

「憲法九条と幣原喜重郎 日本国憲法の原点の解明」(大月書店 2020/04/15)