「理論と実務の架橋」の理想と法科大学院再編構想

1.平成29年7月になり法科大学院再編構想が具体化してきました。

  ここで見ておかなければならない資料は,次の二つです。

 ①「法曹養成制度改革の更なる推進について」 (平成 27年6月 30日法曹養成制度改革推進会議決定)

資料)http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chukyo/chukyo4/012/siryo/__icsFiles/afieldfile/2015/07/15/1359973_02.pdf

 ② 「法科大学院等の教育の改善について(論点と改善の方向性)(案)」(平成29年7月20日 法科大学院等特別委員会(第81回)

資料)http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chukyo/chukyo4/041/siryo/__icsFiles/afieldfile/2017/07/25/1388460_001.pdf

2.平成27年6月推進会議決定(上記①)は,「法科大学院改革の基本的な考え方」の項で次のように述べています。

 平成27年度から平成30年度までの期間を法科大学院集中改革期間と位置付け、法科大学院の抜本的な組織見直し及び教育の質の向上を図る。法科大学院において累積合格率7割以上の司法試験合格を目指す。優秀な学生を対象とした在学期間の短縮により、法科大学院課程修了までに要する時間的負担の縮減を図る。

3.平成29年7月方向性案(上記②)は,「目指すべき方向性」の中で次のように述べています。

ⅰ 法科大学院について、優れた資質を有する志願者の回復に向け、学生の能力に応じた期間で法曹になることができるよう改革を進めるべき。

ⅱ その際には、学部段階における法学教育の在り方も総合的に検討すべき。

3の2.上記ⅰⅱに関しては,「改善の方向性」として次の提案がなされています。

 法学部や法学研究科等との組織の一体化。
(法学部と「独立」した法科大学院という理念を改め,自校の法学部から自校の法科大学院への進学を容易にする。)
 法科大学院の必置教員が学部や大学院(修士課程・博士前期課程)の専任教員となることを認める。
 法学部の「法曹コース」の設置を奨励し,「飛び入学・早期卒業」制度を利用し学部を3年で修了し,法科大学院の既修コースに進学して5年で法曹養成教育を終了するという「5年一貫コース」として運用する。
 実態に鑑み、入学者に占める未習者(法学系以外学生又は社会人)の合計割合を「3割以上」と規定した文部科学省告示を見直し,既修コースを原則とする制度にする。

3-3.これに対し,法学部・法学研究科での研究者の養成に関しては次のように述べられるのみです。

<現状>
 法科大学院制度の創設にあたっては、法科大学院の教員は、少なくとも実定法科目の担当者については、法曹資格を持つことが期待され ていた。法科大学院を経由して研究職に就く者は横ばい傾向が続き、法科大学院志願者が減少する中で、当初期待していた規模には及んでいない。
<改善の方向性>
 法科大学院と研究大学院のカリキュラム連携や教員の兼務にかかる制度面の障壁を取り払う。

4.今回の法科大学院再編構想をどうみるか。

4-1.法科大学院制度を考える3つの指標
  私は,法科大学院制度を考える時,いくつかの指標で見ています。

  • ① 弁護士人口を日本の法曹市場の需給の状況に照らした適正・妥当な数に調整する課題との関係
  • ② わが国の基本法の体系的知識を深く正確に習得したうえ,具体的事案に当てはめて適切に分析し分かりやすく端的に論述できることのできる能力というわが国の司法試験の培ってきた高いクオリティを,崩さないようにするという観点との関係

    ​などは,私がいつも手に握っている指標です。
    これらは,法科大学院の設立時の構想との関係で緊張感のある指標ということもできます。
    これらとは別に,私が法科大学院の設立時の構想との関係で,前向きに重視している理念の指標があります。それは,

  • ③「理論と実務の架橋」の観点
    です。

4-2.理論と実務の架橋の観点から

 今回の法科大学院再編構想は,一見する限り上記①②の観点と直接結びつくものではないようにも感じられます。
 そこで,ここでは,まず,上記③の観点から光を当ててみようと思います。

 法曹養成の課題は,裁判官・検察官・弁護士という法曹三者の後輩を養成するという課題です。法曹の後輩の養成は,本来は法曹の先輩がするべきです。しかし,大学法学部・法学研究科・法科大学院の教員の教科書・研究論文で論じられる理論,そこから派生する実務や判例・裁判例の批判などは,常に実務・裁判所において参照され,有機的に結びついて機能してきました。「常に」とはいっても,無視される学説や無視される教科書の論述ももちろんあります。全くある分野で学者の研究が進んでいないために,弁護士や裁判官が研究論文を法律雑誌に投稿してあるいは実務本を書いて「学説」を発展させ,実務を形成してきたといえる分野も沢山あります。法科大学院という場が与えられたことによって得られる刺激が「理論と実務の架橋」に果たした影響は大きいと感じます。
 しかし,今回の法科大学院再編構想は,より一歩大きく重要な点に踏み込んでいるように思います。
 私に見えてくるのは,「法学部・法学研究科・法科大学院」の教員・教授は,基本法(公法=行政訴訟法系・民商法=民事訴訟法系・刑法=刑事訴訟法系)の教員・教授に関する限り,すべからく司法試験を合格し,司法修習を終えて法曹資格を取得するというのはどうかという提案です。
 もし,そのような形になるのであれば,将来統合され,そこから分岐して来るであろう現在の「法学部・法学研究科・法科大学院」(大学法学部門)は,大学医学部が,「医者」の仲間という位置づけになるのと同様,「法曹」の仲間に近づきます。「法曹界」は,在野の教育・研究部門としての大学法曹界=大学法学部門,在野の司法部門としての弁護士会と,任官の司法部門としての裁判所,検察庁(法務省)という形になります。
 私が大学法学部門の教員のコミュニティに求めているのは,弁護士会のような在野の自立性・自律性です。
 大学である以上文科省が統制しているという訳ですが,大学自治を取り戻すような過程の中軸に法学部門の教員が法曹として機能する。そして,現在,2000年司法改革の新自由主義的な改革によって,法曹養成過程が抱えている,抱え込まされることとなった苦難を,大学経営陣の生き残り戦略で文科省等上から「あてがわれて」乗り切るのではなく,弁護士会や裁判所・検察庁にいる法曹人材と大学法学部門にいる法曹人材とが,立法・行政部門とは自立的な形で,ともに「受難」し(痛みを分かち合い),乗り越えていく過程を踏んでいってもらいたい。そのような形にならないと,私たちが,大学法学部門を,私たちの後輩を養成することを意味する「法曹養成」の中軸を担う機関であるなどと認めるわけにはいかない訳です。
 最高裁判所司法研修所は,最高裁の統制下にありますから,そこで生み出された理論や実務の研究や,そこで行われる司法修習教育の実践は,弁護士実務家だけではなく,大学法学部門の研究者の絶えざる批判的な検証が必要であり,またそれがあってこそ,こうした研究や教育実践が鍛えられ,進展することになります。しかし,大事なことは,最高裁判所司法研修所は,立法・行政部門からは自立した司法部門によって運営されているということです。そこには司法の自治がまがりなりにも存在します。
 現在の大学法学部門に,これがしっかりとあるのでしょうか。
 立法・行政・財界の諸権力主体との関係で,「ゆるゆる」の「ずぶずぶ」という状態では困るわけです。

 「法曹養成は,我々のコミュニティで行われることになった」と大学法学部門の方がいうとき,私は,そこを見ています。
 大学法学部門のいう「我々のコミュニティ」が,私の属する「私たちのコミュニティである法曹界」と中核において同質性を持とうとされること(司法の担い手としての責任感をともに共有すること,それは理論と実務の架橋の程度や教育の行い方や人的な交流にも表れます。)がなければ,安心して大学法学部門に私たちの後輩の養成の「中核」などを任せられるわけはないのです。

4-3.よい研究者でありかつよい教育者であることが求められるロースクールという観点から

 次に,少し②の観点から来る問題を掘り下げてみたいと思います。

 「わが国の基本法の体系的知識を深く正確に習得したうえ,具体的事案に当てはめて適切に分析し分かりやすく端的に論述できることのできる能力」というわが国の司法試験の培ってきた高いクオリティを,崩さないようにするという観点(*)でいえば,ⅰ予備校(合格者・弁護士ライン),ⅱ法科大学院(研究者教員・実務家教員ライン),ⅲ自主ゼミ(合格者・受験者ライン)の3つが重要です。

 この中で,法科大学院が,ⅰやⅲを正しく評価しつつも,その上に立って,それ以上の情熱を持って,ルーティンとして,法曹を真剣に目指す優秀で素質のある学生に対し,「わが国の基本法の体系的知識を深く正確に習得したうえ,具体的事案に当てはめて適切に分析し分かりやすく端的に論述できることのできる能力」を,「先生」としての理論的技術的実践的高みを示しつつ上手に着実に身につけさせることができるようにするためには,<司法試験合格者輩出のための法科大学院実践教育学の積み重ねと人材の集約>が必要です。そのためには,成功を収めてきた法科大学院とその教員の給源をなす大学法学部門や弁護士会がコアを形成する必要があるでしょう。しょせん,ⅰやⅲを上回って有益な司法試験合格者輩出教育をできるような研究者・実務家教員の数は有限なのです。法科大学院の実験は,こうした合格者輩出教育をなし得るといえる大学法学部門組織を,実験の実践の中で,一定程度生み出すことに成功を収めた可能性があると思います。

 今回の法科大学院再編構想は,そこを磨き上げ,<司法試験合格者輩出のための法曹養成教育学の積み重ねと教育者人材の養成循環>を成し遂げる方向性に合致しているかどうか。その方向性を向いているのなら,評価する必要があります。ⅰの予備校やⅲの自主ゼミでは,法曹養成教育学の積み重ねや教育者人材の養成の循環を遂げることは難しいですから,ⅱの法科大学院(大学法学部門)でこの教育学の実践を続けて頂くことは是が非でも必要だと思います。これこそ,まともな大学法学部門教育だと思います。

 しかし,何度も言いますが,しょせん,有益な司法試験合格者輩出教育をできる研究者・実務家教員の数は有限で,それは,結局,法曹市場の需給の状況と,深層水の部分で繋がっているのだと思います。このように考えて行くことで,おのずと,法曹養成に有益な法科大学院の数はおのずと絞られてきますし,法科大学院の実験の血と汗が,次世代の有益なものへと受け継がれていく可能性が出ると思います。優秀な研究者でありかつ優秀な教育者であるような教授は,そこで育った法曹の師として思慕されます。その循環が,市民社会を下支えする温かい輪になる。こういうものは,ⅰの予備校やⅲの自主ゼミでは無理です。そこを目指していくことは正解です。地道で,息の長い取り組みです。お金は儲かりません。大学にお金は落ちません。それでも教授も大学もやるというのなら,それは本物です。

(*)注

基本法の体系的知識を深く正確に修得したといえるかどうかが法曹資格を与えてよいか否かの分かれ道であり,そしてこれは,司法試験合格のときに判定されるべき事柄です。
最高裁事務総局は,2008年5月23日発表にかかる「最近の司法修習生の状況について」http://www.moj.go.jp/content/000006952.pdfhttp://www.moj.go.jp/content/000006952.pdf
の中で,「『生きた事件』を素材とする実務修習を実のあるものにするには,民法,刑法などの基本法の論理的・体系的知識が不可欠であるが,下位層の司法修習生の中には,これらの基本法について表面的な知識を有するにとどまり,その理解が十分でないため,具体的事案に即した適切な分析検討ができていない者が相当する含まれているのではないか。」「基本法の理解不足を克服できなかった一部の司法修習生は,司法修習プロセスを通じて伸び悩んでいた。」「基本法の理解が不十分なまま,司法修習で所期の成果を収めることは難しいのではないか。」という教官や指導官の感想を引用しています。
これが,旧試験で選抜されてきた法曹実務家の実感だと考えます。
本当に,新司法試験で合格してきた新しい法曹の中に,基本法の体系的知識を深く正確に修得しているのかに不安があるために,実務に就いてから,基礎から規範的に考えて事案を救済するべく階段を登っていくというような力がいつまでも身につかず,「伸び悩む」人が多いのです。これが法曹界の釜の底が抜ける本質的な問題になってくることを私たちは怖れなければなりません。

 

                  2017年10月 2日 平田元秀wrote

                  2017年10月 3日 update

                  2017年11月19日 update