5.3憲法を守るはりま集会について

 このコーナーでは,「5.3憲法を守るはりま集会」について,まとめてお知らせしたいと思います。


 「5.3憲法を守るはりま集会」は,2010年で第32回目を迎えます。
 この集会行事が始まったのは,1978年のことであり、それ以来ずっと,毎年呼びかけられる実行委員会が主催する形で続けられてきました。
 この集会の母体となった個人は,後に播磨靖国訴訟を行った原告団を構成した個人と多く重なっています。
 播磨靖国訴訟は,1985年に当時の中曽根康弘首相らが靖国神社を公式参拝したのは違憲として、国に慰謝料を求め神戸地裁姫路支部に提訴した訴訟です。90年に1審敗訴、93年に控訴を棄却され(大阪高判平成5年3月18日判例時報1457号98頁)上告を断念したようです。
 私が弁護士となって姫路に帰ってきた1994年には,播磨靖国訴訟は終わっていましたが,5.3憲法を守るはりま集会は,第16回目が開催されました。それ以来,この集会には実行委員として参加を続けてきました。
 2002年から2006年までの4年間は,実行委員会の事務局責任者として集会の準備に携わってきました。
 この間の集会についていくつか紹介します。


2002年度5.3憲法を守るはりま集会アピール

五・三憲法を守るはりま集会アピール
  ―わたしたちは有事立法を許さない―
 生かせ憲法 ―あなたがあなたであるために
 今、播磨中に、いや 日本中に悲痛な声があがっています。
 仕事がない!生活ができない!明日が見えない!
この苦境を何とかしてほしいと政治に求める庶民の願いは切実です。
 にもかかわらず小泉内閣の実行してきた政策は、これらの願いにことごとく反するものばかり。リストラ断行のかけ声の下、憲法二七条の勤労の権利は無視され、医療や福祉の制度の相次ぐ改悪によって憲法二五条の生存権の保障はうち捨てられ、個人情報保護法案・人権擁護法案で、憲法二一条の言論の自由も風前の灯火と化しています。
 そして今また、憲法前文と第九条までもが踏みにじられようとしています。侵略戦争で亡くなった、おびただしい犠牲者の尊い命とひきかえにうち立てられた、憲法第九条。日本が世界に誇りうる、至高の宝である大切な平和条項が、息の根を止められようとしているのです。
 「有事三法案」、それは日本国民を再び悲惨な戦争に導くものです。また戦後五十有余年にわたって曲がりなりにも築いてきた平和国家建設の歩みを一夜にして瓦解させ、戦争を二度としないと宣言した日本国民の信用を地に落とし、アジアの近隣諸国に軍事的緊張と軍拡をもたらし、世界の国際秩序を激変させ、疑いと不信に満ちた国際関係を招来するものです。ひとたびその法律が発動されるや、市民生活は根底から破壊され、議会も民主主義も自由も人権も、軍事的要請の前にひざまずかねばなりません。
日本が侵略されるかも知れないなどという主張は、全くの白昼夢にすぎません。こんな現実性を欠いた妄想のために、人のくらしに価値あるもの一切をどうして差し出すことができるでしょうか。
 アメリカとともに、その従属国家として、覇権的利益をあさるために軍事的冒険に打って出ようとする危険きわまりない妄動を、私たちは決して許せません。国の進路を誤り、国民を悲嘆の中にたたきこみ、亡国に導くことが明らかなこの道に、どうして抵抗しないでいられるでしょうか。
 私たちは、今この場所で、平和と自由と民主主義を守り抜こうと改めて決意しました。必ずや有事法案を葬ることを誓い合いました。それはこの国の未来のためです。それは私たちの子供たちと私たちの未来のためです。そして何よりも平和を愛する私たちの心や、戦争を拒否する私たちの良心が蹂躙されないための決意です。
 情勢は風雲急を告げています。全ての人々に私たちは訴えます。政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることのないように、市民こそがこの国の主人公であることを示す、崇高なたたかいに、今こそ、ともに立ちあがりましょう。
 私が私らしく生きられる社会をつくるため、あなたがあなたであるために、憲法を高く掲げて、ともにたたかいましょう。

                                                二〇〇二年五月三日
                第二四回 五・三憲法を守るはりま集会 参 加 者 一 同

 

2002年度5.3憲法を守るはりま集会特別決議 

五・三憲法を守るはりま集会  特 別 決 議
    私たちは「有事法制三法案」の立法を許さない

 四月一七日、小泉内閣は、「武力攻撃事態法案」、「自衛隊法改正案」、「安全保障会議設置法案」の有事法制三法案を国会に提出しました。
 「武力攻撃事態法案」は、自衛隊が武力行使できることを明確にしました。「周辺事態法」や「PKO法」とリンクさせて、インド洋その他の地域でアメリカ軍との共同作戦中に、もし相手国から攻撃をうけると直ちに応戦させることができるようにした恐るべき法案です。しかも「武力を行使」する場合の判断は、「武力攻撃のおそれのある場合」「武力攻撃が予測されるに至った事態」というきわめて主観的かつあいまいなものです。
 また、「武力攻撃事態」に際し、軍・官・民あげての戦争態勢を整えるため、自治体・民間機関・国民の協力義務を明確にしています。自治体に対しては、内閣総理大臣の指示権や直接実施権が導入されています。指定公共機関すなわち、空港、港湾、鉄道、電力、NTTその他の通信機関、病院、マスコミその他の報道機関などに対しては、政府の命令に従わせるため罰則まで用意されています。法案は、まさに「国家総動員法」の内容をもっています。しかも、これらの政府の命令には国会の承認もいらないのです。
 「自衛隊法改正案」や「安全保障会議設置法案」も、これらの態勢を「戦争国家法」として法的に矛盾なく進めるために提出されています。
 さらに重大なことは、この法案が、「米軍の行動が円滑かつ効果的に行われるために実施する物品、施設、または役務の提供その他の措置」とし、米軍の戦争行動への協力のためのものである旨を明記していることです。政府自身が国会答弁の中で、「今、日本に大規模な侵攻を企てる外国勢力はない」と自認していることを併せて考えると、今般この法案を急いで持ち出した意味が、アメリカの行う戦争に参戦協力することにあることは、あまりにも明白です。
 今、アメリカの「報復戦争」の拡大に対して、非同盟諸国はもとよりアメリカの同盟国からも強い懸念の声があがっています。アメリカが「悪の枢軸」と呼び戦争を準備しているイラクへの軍事行動には、ヨーロッパ諸国からの批判をはじめ、従来、基地を提供してきたサウジアラビアさえ使用を拒否するなど、アメリカの強引な軍事行動は次第に孤立しています。加えてアメリカのブッシュ政権は、「包括的核実験禁止条約」(CTBT)の批准拒否に続いて、ミサイル防衛システムの強行を押し進め、「悪の枢軸」三カ国だけでなく、ロシア・中国を含む七つの国への核攻撃について軍事研究を始めていたと報じられ、ついにアメリカ国内からも「アメリカは、最大のテロ国家になってしまった」との批判が起こるまでになっています。
 このような中で、ひとり日本政府だけがアメリカの行動を無条件で支持し、全面的な軍事協力の道を進もうとすること、そのために、今般の有事法制三法案を制定しようとすることは、まさに国を滅ぼす危険きわまりない妄動という外ありません。
 第二四回五・三憲法を守るはりま集会に参加した私たちは、有事法制三法案の危険な内容やねらいについて学び、討議しました。私たちは、ここに、有事法制三法案の立法を許さないことを厳粛に決議し、関係各位にあて、この集会の意思を尊重した行動を採られることを要請します。
                                               二〇〇二年五月三日
              第二四回 五・三憲法を守るはりま集会 参 加 者 一 同

 

二〇〇三年 五・三憲法を守るはりま集会アピール

 果たそう 憲法の誓い  守ろう  世界のいのち
―人間の誇りをかけて

 今年三月、私たちはアメリカとイギリスがイラクで始めた戦争に、同時代の市民として、またその戦争を支持する政府を持つ国の国民として、不幸にも、立ち会うことになりました。
 どのように正当化することもできないと思われる戦争の、その人殺しや破壊活動の現場が、「勝てば官軍」として、とりあえず正当化されてゆく状況にも、今、目の前で立ち会っています。
 そして今日、私たちは、アメリカがイラクに落とした爆弾の下に、生き生きとした命と暮らしが確かにあったこと、その人々が理由なく唐突に殺されてしまったことを、かつての日本の姿と重ねて、見る機会を得ました。
 一体、このような戦争が、許されるはずがあるでしょうか。
 「戦争は悪である。」
 これは、第二次大戦の惨禍の中から人類がようやくつかみ取った教訓です。
 国際社会は、戦争の惨害から将来の世代を救うため『国連憲章』を生み出しました。
 また日本国民は、政府の行為によって、再び戦争の惨禍が起こることのないようにするため『日本国憲法』を制定し、国家の名誉にかけ、世界平和に貢献しようと固く決意しました。
 「暴力でものごとを解決しようという考え方は間違っている。」これが戦後の国際ルールの原点です。
 ところが、ブッシュ政権は、世界を再び「力の論理」で支配しようとしています。それは、国家相互の対立、民族相互の憎悪、宗教相互の反目をもたらし、世界を破壊と混乱のるつぼに投げ落とそうとするものです。
 しかるに、アメリカにひたすら追随する小泉政権は、今、『有事関連3法案』の成立を急いでいます。これは、アメリカの無法な戦争に自衛隊が武器を持って参戦することを可能にし、しかも全ての国民を力ずくで戦争に追い立てるという恐るべき法律です。その行き着く先には憲法改悪が待っています。
 今、同時代の市民は、激しくせめぎ合う、「戦争か平和か」「無法か法か」の二つの大きな流れを前にしています。「強いものが正義」、「民主主義のための暴力」。このようなやり方を許すか否かは、私たち一人一人の市民の「人間の誇り」に関わることではないでしょうか。
 第二五回憲法を守るはりま集会に集まった私たちは、憲法前文と第九条の誓いを胸に刻み、これを守り実現するために、今すぐ声を挙げ、行動する決意を明らかにします。
 そして、皆さんにも、ともに声を挙げ、行動されることを訴えます。
 わが国の政府が、再び過ちを繰り返すことのないように。
 そして、どの国の人々も、どの国の子ども達も、無法な戦争の犠牲になることのないように。
                                              二〇〇三年五月三日
第二五回 五・三憲法を守るはりま集会 参加者一同

 

二〇〇四年 憲法を守るはりま集会アピール
この憲法とともに歩もう
―無法には法を、戦争には平和を掲げて

 この度のイラクの日本人人質事件の被害者に対し、政府はその「自己責任」を声高に問題にしました。私たちは昨年の憲法記念日に、写真家森住卓さんのスライドを鑑賞し、湾岸戦争後のイラクの子ども達の悲惨な現実を知りました。森住さんは、この度日本人人質事件の被害者となった高遠菜穂子さんと一緒に、バグダッドの路上生活者を取材していたといいます。その高遠さんが、政府から「非国民」呼ばわりを受けました。
 「個人の良心の自由なんて、そんなことは問題にならない。国家の危機には政府と一緒にたたかうのが当然だ。一緒にやらないやつは非国民だ。」こうして、かつての「非国民」の論理が、堂々と台頭するようになりました。
 これは、五八年前に私たちの国の憲法を制定した国民代表が否定した軍国主義への道そのものではないでしょうか。民主主義も人権も息をひそめた戦前への道そのものではないでしょうか。
 イラクに派遣された自衛隊の駐屯地がある北海道旭川では、「黄色いハンカチ運動」が波紋を呼んでいます。そして、私たちの地元にも、姫路駐屯地があり、もし彼ら自衛隊員が海外に派兵されれば、私たちの問題になります。「派兵された隊員の無事の帰国を願わない人は一人もいない」からです。
 こうして今、軍靴の音がはっきりと聞こえてきました。
 アメリカのブッシュ政権や、これにどこまでも追随する小泉内閣の進み方は、「強いものが正義」・「民主主義のための暴力」という論理で自分の国と世界を支配しようというものです。しかし、これは間違っています。
 小田実さんはいいます。日本人は、自分の国がそれまで行った「殺し、焼き、奪いつくす」行為の、全てが自分達に跳ね返って、今度は「殺され、焼かれ、奪われる」大変な経験をした。そして、それを誰のせいにすることもできなかったと。
 まさにそのどんずまりの中で、私たちの父母は「武力や戦争や暴力で物事を解決しようという考え方は間違っている」という智恵に達したのではないでしょうか。だからこそ、私たちの憲法は、「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることのないやうにすることを決意し」、「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」のではないでしょうか。
 今、日本と世界は大きな2つの潮流のせめぎ合いのただ中にあります。それは、日本のテレビや新聞がいうように「改憲か護憲か」、「日米同盟か、それ以外か」という問題ではなく、まさしく「戦争か、平和か」、「無法か、法か」のせめぎ合いです。
 私たちは、今日、戦争の過ちを知り、戦争を違法と宣言する憲法を持つ国の市民として、この憲法とともに歩むことを誓い合いました。
 そして、アピールをお読みになるあなたに心から呼びかけます。国及び地方自治体の長、その議会と政党と公務員に、テレビや新聞に、ホームページやメールに、そして身近な市民に、「戦争には平和を」、「無法には法を」のあなたの声を、このアピールに添えて、一緒に届けましょう。

                                               二〇〇四年五月二日
第二六回 憲法を守るはりま集会 参加者一同

 

二〇〇五年 憲法を守るはりま集会アピール
活かそう憲法 みんなの宝

 振り返れば、昨年の講演者である小田実さんは、姫路から帰った後、「九条の会」の発起人となられました。その呼びかけに応え、播磨各地で大小の「九条の会」が次々に誕生しています。私たちも、ただ一つの思いに突き動かされて、この集会に集いました。初めて参加した人も、何度も参加している人も、今一つの思いでつながっています。
 「平和憲法を変えさせてはならない!」これが私たちの共通の言葉です。この声は、これからもさらに広がるでしょう。日本中で、今この時、心ある人々が平和憲法が破られるのを止めるために立ち上がりつつあります。
 かつて「大日本帝国憲法」(一八九〇年施行)の下で、政府は、国民の生命を鳥の羽よりも軽いとし、他国民の生命はそれよりもはるかに無価値なものとみなしました。「強いものが正義」「正義のための暴力」という誤った考えのもと、おびただしい人々が無惨にも殺されました。累々たる死者たち、その前に立って、日本国民は、「もう二度と武力で物事を解決する国にはならない」と固く誓いました。日本国憲法は、国連憲章が理想とする「戦争のない国際秩序」を築くため、国家の名誉にかけて邁進する決意を、全世界に対して高らかに宣言し、国民も、その決意を深く心にしみ込ませたのです。
 どうしてこの宣言をいま破り捨ててよいものでしょう。
 二一世紀の世界は、構造的貧困や地球温暖化の脅威に立ち向い、人類の未来を展望する世界です。「正義のための戦争やテロ」の考えに固執する政府や勢力と闘い、戦争をすること・武器を持つことを拒否し、新しい平和秩序を生みだそうとする動きは、世界中で本格化しています。その時にあって、なぜいまわが国が、平和憲法を捨て去ってよいものでしょう。日本国憲法は、まことに、日本だけでなく、世界の珠玉の宝なのです。
 いま政府は、日本が、アメリカの求めるままに「海外で戦争できる国」になるため、あらゆる手段を講じています。
 政府は、軍隊ではないという自衛隊を、そこは戦場ではないのだと言って戦場に送り出し、国民を守るはずの自衛隊を、国連の決議もないのにそれが国際協力だと言って送り出し、国民を欺いて、自衛官に命の危険を犯せと強制しています。総理大臣は、「この前の戦争は侵略戦争だった、反省している」と語りつつ、A級戦犯が合祀された靖国神社への参拝を続けています。その靖国神社は、一貫して「この前の戦争は自衛戦争だった」と高唱し、わが国の超タカ派勢力の精神的拠り所となっています。さらに、この勢力は、教育の場で、「大東亜戦争はアジア解放のため」という、戦中の偽りの宣伝をそのまま掲せる教科書を、各地で採択させる動きを強めています。これらの動きが危険であることを察知して起こった中国の民衆行動に対し、一部の国会議員は、「中国政府が愛国教育をしたから暴力事件に発展した」と非難しました。ところが、彼らは、日本の青少年に対しては愛国教育の必要を叫び、「日の丸・君が代」を強制しています。そして、自民党は、憲法の平和条項を破棄するための国民投票について、自由な投票運動を制限したり、○×方式で投票させるといった法律を作り、破棄を強行しようと画策しています。
 いま,政権の獲得・維持のためなら、アメリカの要請になりふり構わず従おうとする、理念のない政党が、こともあろうに侵略戦争の美化を推進する勢力と結びつき、日本を再び「戦争する危険な国」にする最悪の過ちを犯そうとしています。しかも、そのやり方は、偽りを述べ、詐術を使い、欺まんを用いて、国民を決して後戻りのできない場所へと誘おうとする、到底許すことのできない方法ではありませんか。私たちは、主権者の名の下に、心からの怒りをもって、彼らに、NO!の意思表示を突きつけようではありませんか。
 未来をつくる子供たちは何のために生まれてくるのでしょう。子どもたちは幸せになるために生まれてくるのです。そして、子どもたちに幸せな未来を用意するためにこそ大人たちは日々を生きているのです。戦争で殺されるために生まれてくる人は一人もいません。一人一人が誇り高く幸せに生きられる社会をつくろう、それが憲法の呼びかけです。これはすべての人間の祈りです。祈りに背き憲法を変えようとするものは、未来に対する犯罪者です。私たちは犯罪者に負けるわけにはいきません。必ず平和憲法を守りぬかなくてはいけません。
 本日私たちは新たな決意をもって、憲法を守るたたかいの重要性を胸に刻みました。私たちは、平和を築く輝かしいたたかいを、誇りをもって堂々と進めることを固く誓いあい、これを集会の決議といたします。

                                                  二〇〇五年五月三日 
第二七回 憲法を守るはりま集会 参加者一同

 

二〇〇六年 憲法を守るはりま集会アピール
憲法を守る一点で手をつなごう

 今日、私たちは、弁護士の伊藤和子さんから、「テロとの戦争」を遂行中のアメリカで起きている現実から、戦争をする国になるということはどういうことなのかを、学びました。
 九・一一同時多発テロは世界に衝撃を与えました。アメリカ政府は、復讐に燃えてアフガニスタンとイラクに攻め込みました。「理不尽な暴力に対抗するには正義の力が必要だ。正しい戦争は必然である。戦争に備えよ。」こうした声がわが国でも強まりました。そのために憲法九条二項を捨て去ろうという世論をつくるキャンペーンが、いまも精力的に繰り広げられています。
 たしかに世界は大きな問題を抱え込んでいます。
 しかしそのために憲法を変えて軍隊を持つべきだという主張は間違っています。
 軍隊の暴力は、本当に問題を解決する能力など持ち合わせていないからです。イラクほか世界各地の紛争を見ればわかるとおり、戦争は大量の死と破壊をもたらすだけで、何一つ問題を解決することができていないのです。
 私たちの憲法は、ただの現状維持の平和を述べているものではありません。憲法前文は、世界は変革しなければいけないと述べています。本当に平和を求めるなら、専制と隷従、圧迫と偏狭、こういったものがあるような平和は本当の平和ではない。対等平等につきあえるような平和を創っていこう。そうのべています。しかし、憲法は、「テロリストが出てきたから武力で押さえつけろ」とか、「どこそこの国は悪いから押さえつけろ」といった平和を求めているものではありません。力ずくで押さえつける。「ドンと一発やれ。」これは、平和ではない、それはたえず戦争を内包している、そうではない。決して暴力を使ってはいけない。非暴力でいこう。そして日本は率先してそれをするんだ。そう述べています。これは見事な憲法なのです。
 憲法を変えなければならないのではなく、政府が変わらなければならないのです。
 憲法九条が変わることを求める日米両政府は、さる五月一日、日米同盟が「新段階に入る」と宣言しました。いよいよ自衛隊が世界規模で再編を目指す米軍との一体化を進めることが合意されました。アメリカ政府の軍事戦略は、自国の利益となれば専制政府をも擁護し、自国の利益に反するとなれば、政権の転覆をも図るというものです。日本政府は、当面世界の覇権を握っている、このアメリカの同盟国として、いわば「勝ち組」となり、世界中のどこでも軍隊を展開できる国になることを目指しています。なんと品格のない、恥ずかしくも、情けない日本であることでしょう。
 私たちは、こんな日本は、まっぴらごめんです。
 通常国会に国民投票法案の上程を目指す動きが本格化している今、憲法をめぐる正念場が到来しようとしています。いま私たちがなすべきことは、憲法を守るという一点で、文字通り、思想信条や政治的宗教的立場の違いを超え、すべての人と手をつなぎネットワークを広げきることです。
 残された時間は長くありません。本日この集会に集いあった私たちは、「憲法を守る一点で手をつなごう」この呼びかけを総意として採択し、緊急のアピールとして、すべての人々に訴えます。
 そして今日から、私たち一人一人も、今まで声を届けることがなかった、あの人この人に語りかけ、この思いをつなげていきましょう。新しい声かけと、ネットのつむぎ合いと、それぞれの集いへの励まし合いを始めることを誓いあいましょう。
 この憲法を守り憲法を実現して、日本と世界から戦争と暴力の連鎖をなくすために。

                                         二〇〇六年(平成一八年)五月三日
               第二八回 憲法を守るはりま集会 参加者 一同