「コロナ禍」と「カルピスウオーター」と 「宇宙船地球号」に関する恩寵

 引き続き狡猾なウイルスが環球で猛威を振るっている。
 不条理なことが続く。そこから我々は,どのような希望を見出すのか。この度のパンデミックに関しては,1人1人が重りを抱えて考え,行動するべき時間が続いている。

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 2020年の夏から秋にかけて,長女が出産のために帰省していた。コロナ禍の中,娘が嫌がるので,なお一層,ステイホーム。益々外を出歩くことができなくなった。ああ窮屈だ。
 だから,お盆の中日に,1人で,思い切り,山歩きをすることした。「新龍アルプス縦走」。兄の案内で觜崎の屏風岩から鶴觜山への縦走をしたときに,目星をつけたところだったが,いかに山好きでも,こんな日にこの山並みを選ぶ人はまずいない。
 早朝,姫路からJR姫新線に揺られて播磨新宮駅で下車する。祇園嶽を仰ぐ登山口から,亀山を経て,的場山に至る尾根を縦走し,龍野城から本竜野駅にたどり着くコースを行く。朝方の新宮路はまだ爽やかだ。
 祇園嶽を仰ぎつつ尾根にとりつくコースは,ひたすら直登で,熊笹の藪漕ぎが続き,体力が奪われる。アルプスの尾根道は悪くないが,きついアップダウンを繰り返す。暑い。山のセミは,人慣れしていないのか,逆に人に当たってくる。見事な金色のコガネムシが,これは地面に群れをなしている。
 昼前に的場山に到着し,シャツ,タオルを干す。すぐ乾く。50代のおじさんの汗は,臭うなと思う。龍野城に下り,シャツを着替える。
 縦走を終えた。喜びが少しずつ溢れてくる。
 服装を整え,本竜野駅までの1.6㎞を歩く。まぶしい夏。うだる路。龍野橋を渡る。普段から裁判所通いで見慣れた揖保川が,こんなにも美しい。疲れた体でアスファルトの照り返しを歩いていると,小学校からの帰路を思い出す。
 あ,自販機だ。大人だから,遠慮なく100円を入れてカルピスウオーターを買う。おいしい。一本空けて,大人だから,遠慮なくもう100円を入れてカルピスウオーターを買う。おいしい。
 たった200円でこんなに幸せな気持ちになれる。この近場の里山の一日が,2020年下半期最高の強烈な思い出となって脳裏に焼き付いた。

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 どうやってもそれ自体人間としての意味が見えてこない不条理というしかない物事に,私たちは,なすすべもなく放り込まれ,そのただ中にいる。東日本大震災,そして,この度のコロナ禍だ。人は生まれながらにして明晰さを求める。合理性を求める。真理に達したい。しかし簡単にはそんな安心は得られそうにない。
 ただ,一つ,人類にとっての意味が少し見えてきたことがある。
 今回の「コロナ禍」が震災と比べて「救い」があるとすれば,それが,「全世界で起きていること」である。国境の人の出入りは,100年に1度の規模で狭められているが,それは世界中の出来事である。飲食店は苦しいし,ライブハウスも,映画館も,劇場・球場も,みんな苦しいが,今回,それは日本中,そして世界中で同時に起きている出来事である。
 これらのことが,深い意味での人間の連帯を生み出す契機にはなりうる。それは,世代としての「同時代性」,そして場所としての「宇宙船地球号の乗組員」性の認識を生み出す画期にはなりうる。
 いやこれはなるだろう。
 だって,人は,何のために生き,働くのか。
 仲間とバーにも行けず,観劇もできず,チームの応援もできず,はしゃぐこともできない。それらは,狂おしいほど大事なことだ。削ぎ落とせるものでは決してない。しかし,今,この地球号でパンデミックが起きてしまった。「こんな風に,みんなが一つに繋がっちゃってるんだから,これからは良く考えて,行動するしかないでしょ。」皆がそう考えて行動する。

 「新たな日常,それは『持続可能な社会』を作る意識改革の起爆剤かも。」
 今,そのように思い直している。

 明けない夜はない。
 いまは薄明の中,人々がこの地球号の乗組員としてなすべきことが,明るみに出ようとしている時代。
 幸せには,お金は少しでいい。でもみんなの行動変容が必要だ。
 コロナ後は,三密回避行動のことではない意味で。

 「何かが,私たちに,そのことを。」
 これは恩寵なのか。

 とにかく支え合って頑張ろう。

2020年11月27日Writing
2020年11月29日Edited
2020年12月19日Edited

* 本稿は「市民法律だより」2020年1月号の「弁護士の小話」にも掲載予定です。