交通事故後の頭痛と脳脊髄液減少症(大阪高裁平成23年7月22日)

大阪高裁13民平成23年7月22日判決
平成22年(ネ)第818号 自保ジャーナル1859号1頁


 交通事故によるむち打ち的症状の中の頭痛・ふらつきについては,2,3年ほど前から,脳脊髄液減少症という傷病名が取り上げられてきました。
 この点については,厚生労働省の研究班が,平成23年6月1日に,平成22年度総括研究報告として
「脳脊髄液漏出症の画像判定および診断基準(案)」を公表していました*。

* 2022年10月2日現在,掲載サイトが閉鎖されています。

 研究班は,研究背景について,「近年、我が国では、本症と交通外傷の因果関係をめぐる問題が生じ、種々の社会問題を起こしている。例えば、過剰医療と見逃し医療の問題、種々の疾病がこの疾患とされるものに含まれている可能性などである。その問題を解決する為には、本疾患の臨床像および診断基準を明確にする必要性がある。」と述べています。
 ターゲットを,交通事故の外傷との因果関係をめぐる問題に絞っていることが重要です。
 そのうえで,上記基準(案)の公表に当たり,脳神経外科学会など,「膿脊髄液漏出症(膿脊髄液減少症)に関係するわが国の学会が了承・承認したものだと述べています。
 紹介する大阪高裁判決は,脳脊髄減少症の発症を認めていますが,口頭弁論終結日が平成23年5月20日であり,基準案が公表される以前のものです。
 この症状の判断基準については,今しばらく経過を見守らなければならない面がありましょう。*

*CFS JAPAN のWebサイト「脳脊髄液減少症を知っていますか」では,日本脳脊髄液漏出症学会のガイドラインが公表されています。
 ガイドラインの診断基準はこちらです。
 https://js-csfl.main.jp/guideline2021.pdf

<2012年2月10日wrote>
<2012年2月12日update>
<2022年10月2日update>


(3)控訴人の脳脊髄液減少症の発症の有無について
ア 当裁判所の判断
 前記(1),(2)の事実によれば,次のとおり認めることができ,次の事実関係を総合すれば,控訴人は,本件事故により外傷性脳脊髄液減少症を発症し,Y3医師のブラッドパッチ療法等による治療によりほぼ治癒したものと推認するのが相当である
(ア)控訴人は,本件事故により,腰に左第1腰椎横突起骨折するほどの強い衝撃を受けた(前記(1)イ(ア))ところ,控訴人は,RI脳槽シンチグラフィー検査により,腰部に髄液の漏出所見が見つかった(前記(1)ウ(イ))。控訴人は,本件事故で腰部に強い衝撃を受けたため,腰部の髄液漏出が始まったのである。
(イ)控訴人は,本件事故の4日後の平成15年7月7日から春次医院で通院治療を受けるようになったが,通院日数は最も少ない月でも14日間,最も多い月は23日間という高頻度で通院しており,この状態が労働基準監督署において症状固定と認定した平成18年7月31日まで継続している(前記(1)イ(ア)~(サ))。
(ウ)控訴人は,その間,症状に多少の改善は認められるものの,いわゆる頸椎捻挫等に対する治療が継続されているにもかかわらず,本件事故から約3年後の平成18年7月31日時点においても,「首痛による睡眠不足,首痛によるふらつき,集中力のなさ,連日の通院で仕事ができない。首の痛みは,首右側より頭部にかけて痛み,頭痛のひどい時は右眼が痛く涙が出る。首を動かすとふらつくために運転ができず,運動や性生活にも制限がある。」という相当程度に深刻な自覚症状を訴えていた(前記(1)イ(サ))。
(エ)Y3医師が平成19年3月7日に控訴人に対し,RI脳槽シンチグラフィー検査を実施したところ,24時間後の残存率が15%を切る値となっており,研究会ガイドラインが脳脊髄液減少症と診断する30%以下の基準を満たしていた(前記(1)ウ(イ),(2)ウ(ア))。
(オ)控訴人は,平成19年5月21日,Y3医師により,脳脊髄液減少症の治療法とされているブラッドパッチ療法を施されたところ,同年12月11日(症状固定)前後の症状の変化として,動揺感覚,ふらつき,めまい,頭痛が軽減し,平成20年夏ころから,それまで常時あった頭痛,めまい,ふらつきが更に改善され,Aでのデスクワークがほぼ可能なまでに回復した。
 控訴人は,最終的には,ブラッドパッチ療法前と比較して80%以上の症状改善があった(以上につき,前記(1)ウ(ウ)(カ)(キ))。
(カ)Y3医師,Y4医師は,控訴人を脳脊髄液減少症と診断している(前記(1)エ(ア),同ウ(カ))。その前に,大阪市立総合医療センターの医師は,控訴人を診察して,「頸椎捻挫後,低髄圧症候群疑い」と診断し,近大病院脳神経外科のY5医師は,控訴人の症状は典型的な髄液圧減少症状ではないかと考えていた(前記(1)イ(カ),(コ))。
(キ)控訴人には,本件事故以外に脳脊髄液減少症の原因は見当たらない(前記(1)エ(イ))。
イ 被控訴人ら主張の検討
(ア)国際頭痛分類基準を前提とした主張
 被控訴人らは,控訴人には起立性の頭痛が認められないことやブラッドパッチ療法後72時間以内に頭痛が消滅していないことから,控訴人は低髄液圧症候群ではないとか,髄液圧の低下を伴わない「脳脊髄液減少症」という疾患名を唱える医師の見解は医学界では定説でないから,採用されるべきではない旨主張している。この主張は,国際頭痛分類基準を前提とした主張であると解される。
 低髄液圧症候群は,元来,腰椎穿刺や外傷などによって脊髄硬膜に裂孔が生じ,髄液が漏出して脳脊髄液圧が低下し,起立性頭痛などの臨床症状を呈する疾患の概念である(乙8,10)。そして,このような疾患が必ずしも大きな衝撃でない頭部の運動が生じるにすぎないことの多い交通外傷の場合等に発症することには,長らく疑問が呈されていた。
 ところが,現時点においては,外傷によって低髄液圧症候群ないし脳脊髄液減少症が発症すること自体は,医学界においても認められており,東京海上日動メディカルサービス株式会社の整形外科専門医であるY7医師(以下「Y7医師」という。)も,「せきやくしゃみ,尻餅など,些細な外力でも発症しうることが知られており,交通外傷で発症しても全く不思議はない。」(乙10)と述べてこれを認めているし,厚生労働省の研究班も,平成23年6月には,交通事故などの外傷による脳脊髄液減少症の発症も決して稀ではないとする中間報告書を作成している。
 そうすると,交通外傷によって患者に髄液の漏出が生じたのか否か,それによって患者が訴える諸症状が生じたのか否かが明らかになれば,患者が交通事故によって脳脊髄液減少症を発症したものといえることになるが,そのような観点からすると,前記(2)アの国際頭痛分類基準が厳格にすぎることは明らかであり,そのため,日本神経外傷学会は,前記(2)イの神経外傷学会基準を定めたものと考えられる。
 したがって,国際頭痛分類基準に該当しないから,控訴人には低髄液圧症候群ないし脳脊髄液減少症が発症していないとする被控訴人らの主張は採用できない。
(イ)神経外傷学会基準に該当するか
 ところで,前記(1)イ,ウの認定のとおり,控訴人は,本件事故後長期間にわたり,不定愁訴を訴え続けていたにもかかわらず,的確な診断・治療がされなかったため,治療期間が長期化し,最終的に診察を担当したY3医師も研究会ガイドラインに基づいて控訴人を診断しており,神経外傷学会基準により診断していないため,控訴人の症状が神経外傷学会基準によっても,脳脊髄液減少症に該当するものか否かは必ずしも判然としない。
 すなわち,各診療機関のカルテに記載されている控訴人の症状を見る限りは,控訴人には起立性の頭痛は認められていないし,もう一つの前提基準とされている「体位による症状の変化」があったのか否かも判然としないのである。
 しかしながら,前記(1)イ(ア)(ウ)(エ)(オ)(カ)(キ)(サ),同ウ(カ)(キ)認定のとおり,控訴人は,かなり早い段階から,頭位を変換したり,頸部を大きく動かしたりした際に,浮揚感やめまい,吐き気等の平衡感覚異常を訴えていたのであるから,これが「体位による症状変化」に該当する可能性は高いものと考えられるし,RI脳槽シンチグラフィー検査によって髄液漏出が認められていて,「大基準」も満たすものと考えられるから,神経外傷学会基準を前提に診断がされていれば,控訴人は,神経外傷学会基準によっても,脳脊髄液減少症と診断された可能性があるといえる。
(ウ)ブラッドパッチ療法により従前の症状が著しく改善
 そして,仮に,神経外傷学会基準では,控訴人が脳脊髄液減少症とは診断されないとしても,前記(1)ウ(キ)のとおり,本件においては,何よりも,控訴人にブラッドパッチ療法が施行され,これにより,控訴人の従前の症状が80%以上も改善したことがきわめて重要な事情である。
 ブラッドパッチ療法とは,脳脊髄液が漏出していると思われる部位の硬膜外腔に患者の自家血を頸椎・胸椎では10~15ml,腰椎では30ml前後注入する療法であり,硬膜外腔を陽圧に保つことと血液凝固による糊作用で脳脊髄液の漏出が止まると考えられている(甲87の文献1等)が,低髄液圧症候群ないし脳脊髄液減少症以外に,ブラッドパッチ療法が治療効果を発揮する疾患はないこと(証人Y3)からすると,控訴人が本件事故によって脳脊髄液減少症を発症したことは明らかというべきである。
(エ)RI脳槽シンチグラフィー検査の正確性,単なる頚椎捻挫の慢性化等
 Y7医師は,乙10において,RI脳槽シンチグラフィー検査の正確性に疑問を呈しており,また被控訴人は,控訴人の症状固定(平成18年7月31日)後の症状は,単なる頸椎捻挫が慢性化したものにすぎないとか,ブラッドパッチ療法後の症状改善も控訴人の「気のせい」にすぎない旨主張している。
 しかしながら,Y3医師は,ブラッドパッチ療法による治療を施した患者数が約500名にものぼる脳脊髄液減少症分野の専門医で,厚生労働省研究班(前記(2)エ参照)のメンバーでもある全国的にも著名な脳神経外科医であり(証人Y3),特段,Y3医師の検査結果に疑問を抱かせる事情は見当たらない。
 Y3医師は,後に控訴人のRI脳槽シンチグラフィー検査の数値を訂正してはいるが,これは本来,24時間目の膀胱内集積部分を除外して撮像すべきところを含めていたためであるが,これにより患者の病状を過小評価していた可能性があったにすぎず,過剰診断していたものではないことが認められる(甲87)から,Y3医師の検査結果の正確性を左右するものではない。
 また,控訴人の症状を頸椎捻挫の慢性化と考えた場合,ブラッドパッチ療法によって症状が大幅に改善している理由を説明できない。症状改善が「気のせい」とする点についても,確かに症状改善は,本人の自覚症状によるものではあるが,Y3医師も,「それまでいろんな治療をされてきて全く効果がなかった控訴人が,私に,ブラッドパッチ療法で,実施前と比較して80%以上の症状改善がみられたと申告しているのであるから,控訴人の気のせいで症状が改善したものではない。」旨証言している。そして、長期間にわたり不定愁訴に悩んでいた控訴人が,Y3医師に対し,症状の改善もないのに改善したと虚偽の申告をすることは考え難いから(そのようなことをする実益が見当たらない。),症状がブラッドパッチ療法によって大幅に改善したことも間違いないものと考えられる
 したがって,上記Y7医師の意見や被控訴人の主張も採用できない。