遺産分割前の相続預貯金の払戻し制度(1)

2019年7月1日から施行されている改正相続法のうち,遺産分割前における相続預貯金の払戻の制度について,解説します。

(2022年9月25日記)


2019年7月1日施行の改正相続法により,遺産分割前であっても,各相続人が当面の生活費や葬儀費用の支払いなどのためにお金が必要になった場合に,相続預金の払戻しが可能となりました。
全国銀行協会(全銀協)のパンフレット「ご存知ですか?遺産分割前の相続預金の払戻し制度」がこの点について,ポイントをついた解説をしておりますので,まずは,このパンフレットをご覧下さい。


ここでは,「家庭裁判所の判断を経ずに払戻しができる制度」の部分について,法律的な解説をします。

民法(平成30年7月13日法律第72号)
(遺産の分割前における預貯金債権の行使)
第909条の2
 各共同相続人は、遺産に属する預貯金債権のうち相続開始の時の債権額の3分の1に第900条及び第901条の規定により算定した当該共同相続人の相続分を乗じた額
(標準的な当面の必要生計費、平均的な葬式の費用の額その他の事情を勘案して預貯金債権の債務者ごとに法務省令で定める額を限度とする。)
については、単独でその権利を行使することができる
 この場合において、当該権利の行使をした預貯金債権については、当該共同相続人が遺産の一部の分割によりこれを取得したものとみなす

民法第909条の2に規定する法務省令で定める額を定める省令(平成30年法務省令第29号)

 民法第909条の2に規定する法務省令で定める額は、150万円とする。

被相続人名義の預貯金に関する従前の実務

○「金銭債権は相続開始と同時に当然に相続分に応じて分割される」という過去の最高裁判決(最判(1小)昭和29年4月8日民集8巻4号819頁,最判(3小)平成16年4月20日家月56巻10号48頁)を踏まえ,預貯金も金銭債権であることから,家庭裁判所は,相続人間で分割対象に含めるとの合意があって初めて分割対象とすることができるとし,遺産分割審判では,合意がなければ分割の対象としないと解釈され,実務もそのように運用されていました。

最決(大)平成28年12月19日民集第70巻8号2121頁

  

  •  最高裁は,平成28年12月19日決定で,次のように判示して,従前の判例を変更しました。
    • 共同相続された普通預金債権,通常貯金債権及び定期貯金債権は,いずれも,相続開始と同時に当然に相続分に応じて分割されることはなく,遺産分割の対象となるものと解するのが相当である。
  •  判例変更の背景には,既に十分な特別受益を得ている当事者が,被相続人の死亡後に残っている預貯金について法定相続分に応じて取得することを企んで,預貯金を遺産分割の対象に含めることに同意しないという事案では,実質的に不公平な結果を招く実務となってしまうこと,寄与分を考慮しようとするときも,相続人間の実質的公平は,預貯金を遺産分割の対象に含めることによって図られるという指摘を受けていたことなどがありました。 

 

遺産分割前の相続預金の払戻制度

 

  • もっとも,平成28年(2016年)の判例変更後,今度は,相続人が遺産分割協議を成立させるまでの間は,相続人全員の同意がなければ,預貯金を解約できないということになってしまいました。被相続人の残した細々とした月払い債務の弁済とか,被相続人から扶養を受けていた相続人の当面の生活費を支出するために,被相続人の預貯金が使えないというのでは,当座の資金需要に対応できない不都合が発生します。
  • そこで,改正相続法では,共同相続人の各種の資金需要に迅速に対応することを可能とするため,各共同相続人が,遺産分割前に,裁判所の判断を経ることなく,一定の範囲で遺産に含まれる預貯金債権を行使することができる制度を設けました(民909条の2)。
  •  解約できるのは,預金額の3分の1×解約しようとする相続人の法定相続分です。上限は150万円です。
  •  全銀協のパンフレットで例示されているものを掲げておきます。
     相続人が長男・次男の2名で,相続開始時の預金額が1口座であり,普通預金であり,その相続開始時残高が600万円であった場合には,
     長男が単独で払戻しができる額は,600万円×1/3×1/2=100万円となります。