「戦争と芸術と独裁と」【弁護士の小話】
夏は、この前の戦争のことを思います。
私たちにとっては、武力でひとの国を攻めて、強いものが勝ちという、そんなことで突き進んで、嫌われて、悪い国とばかり手を組んで、嫌われ、責められ、最後は原爆まで落とされた、そういう過ちは、二度と繰り返してはいけないと、それを思いつつ、墓参りをする季節です。
国連は、もう戦争はごめんだという、共通の思いから作られたものでした。「われら連合国の人民は、われらの一生のうち二度まで言語に絶する悲哀を人類に与えた戦争の惨害から将来の世代を救い、共同の利益の場合を除く外は武力を用いないことを確保」する目的を達成することを誓って、国連を作ったのです。
でも残念ながら、第二次大戦の戦勝国・安保理常任理事国の「もう戦争はごめんだ」の軽重は、それぞれのようです。
中国の憲法は、前文で、「中国の各民族人民は、…中国共産党の指導の下に、…習近平による新時代の中国の特色ある社会主義思想に導かれて、人民民主独裁を堅持し、…我が国を富強、民主的、文明的、調和のとれたきれいな社会主義国家として建設し、中華民族の偉大なる復興を実現するであろう。」と書いています。人民に、きれいな国家の建設のため、権力を分立させず、一党が指導し、主席個人の主義思想に従うことや、制度維持のために闘争することを義務づける憲法です。
中国と言えば、6月に大阪・中之島の東洋陶磁美術館にでかけました。
これまで、陶磁を専門に扱う美術館としては、丹波の兵庫陶芸美術館、有田の九州陶磁文化館、ソウルのサムスン美術館Leeumを訪ねたことがありましたが、来てみると、大阪弁護士会館の川向かい。こんな近場にありました。
南宋時代の油滴天目茶碗(建窯産・国宝)(写真左上)、北宋時代の青磁のお盆(汝窯産)(左下)、明時代の飛び青磁の花生け(龍泉窯産・国宝)(右上)、紀元前5世に作られたという灰陶で布目の文様の「杯」(右下)、いずれも、気品のある、深い、見飽きない、ため息の出る、美しさです。とくに、右下の「灰陶布目文杯」は、古代中国の春秋時代の作品です。とても洗練されています。
あらためて、近代以前の中華文明・王朝の盛衰と近代以降のわが国が東アジアにしたこと、そして現在の中国を思います。
一方ロシアはご承知の通り、侵略戦争のまっただ中です。プーチンは、6月、サンクトペテルブルクで、現下の経済開発の課題について演説しました。途中、司会者カラガノフは、ロシアで進む戦争経済化、軍産複合体開発を念頭に、「ロシアの理想的モデルを権威主義的社会資本主義と呼びたい。」といい、このやり方を、「政府は雄鶏が鳴いたときにやり始めた。」として、プーチンを雄鶏に例えた発言をしました。プーチンは、「雄鶏をスープに送ってやる。」と冗談で返しつつ、経済学はある程度科学であるが、ある程度芸術でもあるとのカラガノフの発言を肯定しました。芸術は、本質的に個人技です。政治でそれをやると、皇帝制あるいは寡頭制となります。
皇帝や党・軍に社会をひれ伏させ、その権威によって、人民や民族を突き動かし、きれいな国を作る、そんな社会の方が効率的で強いのでしょうか。でもその行き方では戦争が起きます。繰り返されます。
壊れやすいものをどう守るか。中国の美しい茶碗を、国宝にまでして守り続けてきた、この国の政治家、官僚、経済人、市民の力量が問われています。