君が代起立斉唱の職務命令が憲法19条に違反しないとした判例(多数意見)
君が代起立斉唱の職務命令が憲法19条に違反しないとした判例
平成22(オ)951 損害賠償請求事件
平成23年06月06日 最高裁判所第一小法廷 判決 棄却 原審 東京高等裁判所
【判旨】【多数意見】
(6)
上告人らは,卒業式等の式典における国歌斉唱の際の起立斉唱行為を拒否する前提として,大別して,
① 戦前の日本の軍国主義やアジア諸国への侵略戦争とこれに加功した「日の丸」や「君が代」に対する反省に立ち,平和を志向する |
等を有している。
3(1)
上記のような考えは,
「日の丸」や「君が代」が過去の我が国において果たした役割に関わる上告人ら自身の歴史観ないし世界観及びこれに由来する社会生活上ないし教育上の信念等
ということができるところ,上告人らは,
卒業式等の式典における国歌斉唱の際の起立斉唱行為は,日の丸」や「君が代」に尊重の意表するものであって,
上告人らの考えとは根本的に相容れないものであるから,
このような考えを有する上告人らに対して職務命令によってこれを強制することは,
個人の思想及び良心の自由を侵すものとして憲法19条に違反する
旨主張する。
しかしながら,
本件各職務命令の発出当時,
公立高等学校における卒業式等の式典において,
国旗としての「日の丸」の掲揚及び国歌としての「君が代」の斉唱が広く行われていたことは周知の事実であって,
学校の儀式的行事である
卒業式等の式典における国歌斉唱の際の起立斉唱行為
は,
一般的,客観的に見て,
これらの式典における慣例上の儀礼的な所作としての性質を有するもの
であり,
かつ,
そのような所作として外部からも認識されるものというべきである。
したがって,
上記国歌斉唱の際の起立斉唱行為は,その性質の点から見て,
上告人らの有する歴史観ないし世界観を否定することと不可分に結び付くものとはいえず,
上告人らに対して
上記国歌斉唱の際の起立斉唱行為を求めることを内容とする
本件各職務命令は,上記の歴史観ないし世界観それ自体を否定するものということはできない。
また,上記国歌斉唱の際の起立斉唱行為は,その外部からの認識という点から見ても,特定
の思想又はこれに反対する思想の表明として外部から認識されるものと評価することは困難
であり,
職務上の命令に従ってこのような行為が行われる場合には,
上記のように評価することは一層困難であるといえるのであって,
本件各職務命令は,特定の思想を持つことを強制したり,これに反対する思想を持つことを禁止したりするものではなく,特定の思想の有無について告白することを強要するものということもできない。
そうすると,本件各職務命令は,
これらの観点において,個人の思想及び良心の自由を直ちに制約するものと認めることはできないというべきである。
(2)
もっとも,
上記国歌斉唱の際の起立斉唱行為は,
一般的,客観的に見ても,国旗及び国歌に対する敬意の表明の要素を含む行為であるということができる。
そうすると,自らの歴史観ないし世界観との関係で否定的な評価の対象となる「日の丸」や「君が代」に対して敬意を表明することには応じ難いと考える者が,これらに対する敬意の表明の要素を含む行為を求められることは,
その行為が
個人の歴史観ないし世界観に反する特定の思想の表明に係る行為そのものではないとはいえ,個人の歴史観ないし世界観に由来する行動(敬意の表明の拒否)と異なる外部的行動(敬意の表明の要素を含む行為)を求められることとなる限りにおいて,
その者の思想及び良心の自由についての間接的な制約となる面があることは否定し難い。
そこで,このような間接的な制約について検討するに,
個人の歴史観ないし世界観には多種多様なものがあり得るのであり,
それが内心にとどまらず,それに由来する行動の実行又は拒否という外部的行動として現れ,
社会一般の規範等と抵触する場面において,
当該外部的行動に対する制限が必要かつ合理的なものである場合には,その制限によってもたらされる上記の間接的な制約も許容され得るものというべきである。
そして,職務命令においてある行為を求められることが,
個人の歴史観ないし世界観に由来する行動と異なる外部的行動を求められることとなる限りにおいて,当該職務命令が個人の思想及び良心の自由についての間接的な制約となる面があると判断される場合にも,
職務命令の目的及び内容には種々のものが想定され,また,これによってもたらされる上記の制約の態様等も,職務命令の対象となる行為の内容及び性質並びにこれが個人の内心に及ぼす影響その他の諸事情に応じて様々であるといえる。
したがって,このような
間接的な制約が許容されるか否かは,
職務命令の目的及び内容並びにこれによってもたらされる上記の制約の態様等を総合的に較量して,当該職務命令に上記の制約を許容し得る程度の必要性及び合理性が認められるか否かという観点から判断するのが相当である。
これを本件についてみるに,
本件各職務命令に係る国歌斉唱の際の起立斉唱行為は,
前記のとおり,
上告人らの歴史観ないし世界観との関係で否定的な評価の対象となるものに対する敬意の表明の要素を含むことから,
そのような敬意の表明には応じ難いと考える上告人らにとって,その歴史観ないし世界観に由来する行動(敬意の表明の拒否)と異なる外部的行動となるものである。
この点に照らすと,本件各職務命令は,一般的,客観的な見地からは式典における慣例上の儀礼的な所作とされる行為を求めるものであり,それが結果として上記の要素との関係においてその歴史観ないし世界観に由来する行動との相違を生じさせることとなるという点で,その限りで上告人らの思想及び良心の自由についての間接的な制約となる面があるものということができる。
他方,学校の卒業式や入学式等という教育上の特に重要な節目となる儀式的行事においては,生徒等への配慮を含め,教育上の行事にふさわしい秩序を確保して式典の円滑な進行を図ることが必要であるといえる。
法令等においても,
学校教育法は,高等学校教育の目標として国家の現状と伝統についての正しい理解と国際協調の精神の涵養を掲げ(同法42条1号,36条1号,18条2号),
同法43条及び学校教育法施行規則57条の2の規定に基づき高等学校教育の内容及び方法に関する全国的な大綱的基準として定められた高等学校学習指導要領も,
学校の儀式的行事の意義を踏まえて国旗国歌条項を定めているところであり,
また,国旗及び国歌に関する法律は,
従来の慣習を法文化して,国旗は日章旗(「日の丸」)とし,国歌は「君が代」とする旨を定めている。
そして,住民全体の奉仕者として法令等及び上司の職務上の命令に従って職務を遂行すべきこととされる地方公務員の地位の性質及びその職務の公共性(憲法15条2項,地方公務員法30条,32条)に鑑み,公立高等学校の教職員である上告人らは,法令等及び職務上の命令に従わなければならない立場にあり,地方公務員法に基づき,高等学校学習指導要領に沿った式典の実施の指針を示した本件通達を踏まえて,その勤務する当該学校の各校長から学校行事である卒業式等の式典に関して本件各職務命令を受けたものである。
これらの点に照らすと,
公立高等学校の教職員である上告人らに対して
当該学校の卒業式や創立記念式典という式典における慣例上の儀礼的な所作として国歌斉唱の際の起立斉唱行為を求めることを内容とする本件各職務命令は,
高等学校教育の目標や卒業式等の儀式的行事の意義,在り方等を定めた関係法令等の諸規定の趣旨に沿って,
地方公務員の地位の性質及びその職務の公共性を踏まえ,
生徒等への配慮を含め,
教育上の行事にふさわしい秩序の確保とともに当該式典の円滑な進行を図るものであるということができる。
以上の諸事情を踏まえると,本件各職務命令については,前記のように上告人らの思想及び良心の自由についての間接的な制約となる面はあるものの,
職務命令の目的及び内容並びにこれによってもたらされる上記の制約の態様等を総合的に較量すれば,上記の制約を許容し得る程度の必要性及び合理性が認められるものというべきである。
(3) 以上の諸点に鑑みると,本件各職務命令は,上告人らの思想及び良心の自由を侵すものとして憲法19条に違反するとはいえないと解するのが相当である。
以上は,当裁判所大法廷判決(最高裁昭和28年(オ)第1241号同31年7月4日大法廷判決・民集10巻7号785頁,最高裁昭和44年(あ)第1501号同49年11月6日大法廷判決・刑集28巻9号393頁,最高裁昭和43年(あ)第1614号同51年5月21日大法廷判決・刑集30巻5号615頁,最高裁昭和44年(あ)第1275号同51年5月21日大法廷判決・刑集30巻5
号1178頁)の趣旨に徴して明らかというべきである。
所論の点に関する原審の判断は,結論において是認することができる。論旨は採用することができない。
第2 その余の上告理由について
論旨は,違憲をいうが,その実質は事実誤認若しくは単なる法令違反をいうもの又はその前提を欠くものであって,民訴法312条1項及び2項に規定する事由のいずれにも該当しない。
よって,裁判官宮川光治の反対意見があるほか,裁判官全員一致の意見で,主文のとおり判決する。
なお,裁判官金築誠志の補足意見がある。
【裁判官金築誠志の補足意見】
裁判官金築誠志の補足意見は,次のとおりである。
多数意見に賛成する立場から,若干の意見を付加しておきたい。
1 本件において,まず問題になるのは,
思想及び良心の自由を侵害する強制があったというためには,一般的,客観的に侵害と評価される行為の強制でなければならないか,それとも,本人の主観において,思想・良心と行為との関連性があり,強制されることに精神的苦痛を感じる場合であれば足りるかという点である。
一般的,客観的には,特定の思想,信条等を否定するものとは認められない言動が,
一部の人にとっては,その思想,経験等から,本人らの思想等の否定を意味したり,精神的苦痛を与える行為となることは,間々あるが,
思想,信条等は,人によって様々であり,それに対してどのような外部的行動が否定的意味を持ち,その人に対し精神的苦痛を与えるかも,人によって違いがあり得るから,仮にこれらの点に関する決定を当該思想等の保有者の主観的判断に委ねるとすれば,そうした主観的判断に基づいて,社会的に必要とされる多くの行為が思想及び良心の自由を侵害するものとして制限を受けたり,他の者の表現の自由を著しく制限することになりかねない。
こうした事態は,法の客観性を阻害するものというべきであろう。
したがって,内心の思想・良心と外部的行動との関連性,すなわち,特定の外部的行動を強制することがその人の内心の思想・良心の表明を強いたり,否定したりすることになるかどうかについては,当該外部的行動が一般的,客観的に意味するところに従って判断すべきであると考える。
権利の「侵害」があるかどうかを判断する場合に,
こうした一般的,客観的評価に従うという考え方は,法的判断としては,通常のことであると思われる。
所論は,本人の内心において,「真摯な」関連性があれば足りる旨主張するが,この見解は,本人の主観的判断に委ねてしまうという問題点を,少しも解決していないといわざるを得ない。
また,所論は,一般性,客観性を要求することは,少数者の思想・信条を保護しないことになるとも主張するが,
ここでの問題は,どのような行為の強制を「侵害」と考えるかの問題であって,どのような思想・信条を保護するかの問題ではない。
2 職務命令をもって起立斉唱を命ずることは,
一般的,客観的見地から,上告人らの歴史観,世界観等に関わる思想及び良心の自由を侵害するものではないが,
起立斉唱行為が,国旗・国歌に対する敬意の表明という要素を含んでおり,その限りにおいて,本件各職務命令が,上告人らの思想及び良心の自由についての間接的な制約となる面を有すること,
しかし,
起立斉唱行為の性質,本件各職務命令の目的,内容,制約の態様等を総合的に較量すれば,その制約を許容し得る程度の必要性,合理性が認められることは,多数意見の判示するとおりである。
ここで,私が,念のため強調しておきたいのは,
上告人らは,教職員であって,法令やそれに基づく職務命令に従って学校行事を含む教育活動に従事する義務を負っている者であることが,こうした制約を正当化し得る重要な要素になっているという点である。
この点で,児童・生徒に対し,不利益処分の制裁をもって起立斉唱行為を強制する場合とは,憲法上の評価において,基本的に異なると考えられる。
もっとも,教職員に対する職務命令に起因する対立であっても,これが教育環境の悪化を招くなどした場合には,児童・生徒も影響を受けざるを得ないであろう。
そうした観点からも,全ての教育関係者の慎重かつ賢明な配慮が必要とされることはいうまでもない。