裁判員裁判での自白事件の厳罰化について

 裁判員裁判における自白事件の厳罰化傾向が続いている。

 この傾向は,一般に報道されているものとは異なり,強姦致傷事件や危険運転致死傷罪における量刑や,執行猶予に対する保護観察付与率の増加などの点に限られるものではなく,社会的耳目を集めた「凶悪事件」の全般的な傾向であるように思われる。*1

 ところで,日本の治安が国際的に見てもよいこと,殺人や暴力による死亡者の数については,戦後ほぼ一貫して徐々に良くなっていることは,私たち司法に携わるものの常識である。これについては,後で根拠をあげる。

 この点,体感治安に関する内閣府の世論調査(平成16年7月)というのがある。*2
 http://www8.cao.go.jp/survey/h16/h16-chian/index.html
 これによれば,ここ10年間で日本の治安はよくなったと思うかの問いに対し,「よくなったと思う」とする者の割合が7%,「悪くなったと思う」とする者の割合が87%となっている。
 客観的には治安はよいのに,主観的には治安が悪くなったと思うこの調査当時の理由をみると, 「外国人の不法滞在者が増えたから」を挙げた者の割合が54.4%と最も高く,以下,「青少年の教育が不十分だから」(47.0%),「地域社会の連帯意識が希薄となったから」(43.8%),「様々な情報が氾濫し,それが容易に手にはいるようになったから」(40.6%),「景気が悪くなったから」(38.6%)などの順となっている(複数回答,上位5項目)。
 しかし,このようにわが国における体感治安が悪くなっているのは,基本的にはメディアの影響によるものだと言って良いだろう。日本のメディアは,冷戦終結後,ますます商業化,市場化の度合いを深めている。東西冷戦という大きな戦争の物語が終わると,「小さな戦争」である「犯罪」がメディアにとって,重要なネタになる。メディアは,事件・事変・変化に反応する本質をもち,それを記事にして情報を売る。人は言葉で社会的情報を得る動物であり,ライオンに襲われないように注意するインパラの群れが風の音に耳を傾けるように,人は事件・変化の言葉情報に反応する。「犯罪」は人の耳目を引く最高のネタだ。その犯罪が減っても犯罪についての興味を引こうと言うことになるとメディアは,その犯罪の新しさ,新しい残酷さなどを「発見」し,かき立てる。人はその情報を喜んで買い,恐怖を覚え,戦慄し,記憶する。だから体感治安が悪くなる。現代は,テレビ,新聞,ラジオだけではなく,パソコンや携帯で瞬時に犯罪の映像を含む詳しい情報が伝達され,伝わった人の感情を敏感に刺激する。その感情は群れをなして動き出す。一旦動き出すと少しの間止まらない。
 こうした反応が,いわばホラー映画を消費するように,戦闘ゲームを消費するように,自家撞着である限りはいいのであるが,それがバーチャルの世界を超えて,裁判員裁判における裁判員の評議にまで影響を与えるとなると,しゃれにならない。それでは幻覚・幻聴のような集団睡眠のような形で形成された一時的な「世論」の影響を受けて判断がなされることになりかねない。(例えば光市の事件はどうか。)
 治安がよく保たれているのに,人を威嚇する手段として,あるいはその「ぎょっとする虐待報道」に対する応報感情が被害者支援の運動による扇動によって形成された世論によって,厳罰化していくというのは,社会をよくしていく方向ではない。

  冒頭で触れた日本の犯罪の動態については,例えば,ウィキペディアが次のように書いている。
 ICPO調査による2002年の統計では、日本では年1,871件の殺人が発生しており、人口10万人あたりの発生率は1.10件で先進国の中ではアイルランドと並んで最も低い。
 他国の発生率はアメリカ合衆国5.61件、イギリス18.51件、ドイツ3.08件、イタリア3.75件、フランス3.64件、スウェーデン1.87件、オーストラリア3.62件、スイス18.45件、ロシア22.21件[2]。なお、日本の殺人認知件数は毎年減少傾向にあり、1958年(昭和33年)には2,683件だったが、2009年には戦後最低の1,097件を記録した。

 犯罪率の国際比較については,次のサイトがOECDのデータで明らかにしている。
  http://www2.ttcn.ne.jp/honkawa/2788.html

 このサイトでは,日本の犯罪率は、2005年に9.9%とスペインを除いて先進国中最低であること,1990年の8.5%から2000年の11.9%へと増加したが、その後2005年にかけては再度9.9%へと減少していること,日本犯罪率の対OECD比は、同じ時期に0.645から0.639へと低下しており、相対的にも犯罪の少ない国としての地位を高めていることが述べられている。

 すなわち、犯罪が増えているのではないかという体感治安とは異なり,日本は依然として犯罪の少ない安全な国であり,また安全な国としての地位をさらに高めている。

 こういう状態にある国で,刑法に触れる犯罪に対して,その犯罪が認定できる場合に,どのように量定すべきであるかは,やはり,専門家の知見を尊重しつつ,刑事政策的な観点からも,十分に考察されるべきである。戦後,今までのところ,重大犯罪に対する刑事司法の量定は,「一応の」成功を収めているといえそうであるからである。

 もちろん,犯罪が増えていなければ,処罰を重くするべきではないという風に決めつけることは出来ない。しかし,現状で犯罪が増えていない以上,罰を重くすることで威嚇する必要性は認められないとはいえる。だとすれば,どうして重くするのか。

 素朴な応報感情か。素朴な正義感情か。素朴な犯罪被害者への同情・共感か。これは違う。それを用いても,「人を殺した者は最悪殺されても仕方がない」という応報刑の上限が機能するという点を除いては,つまり,それ以下の罪に対する刑の量を量るものさしには,到底ならないからである。

 それ以外の何かでもって,現在の日本の裁判員裁判における自白事件の厳罰化傾向を正当化するとすれば,それは何か。

 まさか,「参加した国民がそういうから」という理由で正当化できるというような議論をする者がいるだろうか。それは,ポピュリズムそのものである。罪に対する罰の量定を裸の多数決原理で正当化するというのは,もはや文明国とはいえない。こういうのを魔女裁判とか人民裁判というのである。

 そうではなく,市民が参加して,どのような討議を行った結果,厳罰化が正当化されたのか,そこが検証される必要があるのである。裁判員裁判に参加した者には,法曹官僚たる裁判官であろうと,素人市民たる裁判員であろうと,一旦その評議に参加して意見を述べ九票のうちの一票を投じて,現に生きた人を裁く権限を行使した以上,その正当化理由を明らかにする責務は,道義的に全く同じ重さでのしかかるのである。

 裁判員裁判が,自白事件における刑の量定について,もし,人を裁くという道義的責任を心の準備なく負いたくないと考える多くの素人を強制的に参加させ,意見を言わせて,判決言い渡しの時間が刻々と迫る中で,決して自分の中で成熟したものとはいえない量定の一票を,義務的に投じさせて,その結果として量定の一般的な厳罰化を招来し,それを「参加した国民がそういうから」という理由で正当化する,ということにならざるを得ない制度であるとするなら,それは,たとえ参加した素人市民の提供した意見や投じた一票を「評議の秘密」の名の下に社会や市民から覆い隠す政策を続けるものだとしても,本質的に見て,これは文明国の裁判ではなく,魔女裁判とか人民裁判であるというほかない。

 私はそう確信する。 

 一人の裁判員といえども,より厳罰に処することにした理由が,「感覚的にそう思ったから」であってよいはずがない。そういうのは,人権思想と結びついた民主主義ではなく,容易に反対物に転化しうるとても危ういものである。

 判決において明らかにされる理由は,評議の実質を表現するものでなければならず,かつ判決において明らかにされる理由は,裁かれるその人である被告人の納得を得られるようそこに核心部分が向けられたものである必要がある。また,できるかぎり,刑事政策の前進に役立ち,法と理性的で良識的な社会の発展に資するようなものでなければならない。つまりは,できるかぎり,歴史の評価に耐えるようなものでなければならない。
 常にその方向を目指していると言えるような制度でなければならない。 
 


2010.11.14平田元秀Writing
 2010.12.05平田元秀update


*1 性犯罪の厳罰化進む 裁判員裁判 殺人、放火は猶予刑増https://www.nishinippon.co.jp/item/n/511683/
  2019/5/21 6:00 (2019/5/21 7:10 更新)西日本新聞 社会面

 21日で10年を迎えた裁判員制度では、これまでに全国で約1万2千人(九州7県では約1200人)の被告に判決が言い渡された。うち死刑は37人、無罪は104人。裁判官だけの裁判と比べて性犯罪で厳罰化が進んだ一方で、放火や殺人では執行猶予判決が増えるなど量刑の幅が広がった。

 最高裁のまとめでは、3月末までに裁判員裁判で判決を受けるなどしたのは全国で1万2081人(同1189人)。罪名では殺人が最多で、強盗致傷、傷害致死と続く。

 死刑判決を受けたのは、長崎県西海市で起きたストーカー殺人事件や宮崎市の家族3人殺害事件など37人、うち20人が確定した。無罪判決で最も多い罪名は、覚せい剤取締法違反(営利目的輸入など)で40人。

 強姦(ごうかん)(強制性交)や準強姦(準強制性交)で人を死傷させた被告への判決は、裁判員裁判では厳罰化傾向にある。裁判官だけの裁判(2008年4月-12年3月)は「懲役3年以上、5年以下」(35・4%)が最多だったが、裁判員裁判(12年6月-昨年末)では「懲役5年以上、7年以下」(26・4%)が最も多かった。

 現住建造物等放火罪は、裁判官だけの裁判では執行猶予判決は24・7%、裁判員裁判では40%に増えた。殺人罪では最も多い判決は「懲役11年以上、13年以下」から、「懲役13年以上、15年以下」に移る一方で、執行猶予判決は3・4ポイント増えた。

 最高裁は「裁判官だけの裁判と比べると、軽重の双方向で量刑判断の幅が広くなっている。国民の多様な視点・感覚が量刑に反映された結果」と分析している。(平田コメント:そういう多数派的な後付けの分析評価こそが問題なのである。)
*2 「治安に関する世論調査」平成29年11月内閣府 https://survey.gov-online.go.jp/tokubetu/h29/h29-chian.pdf


<2020年10月4日平田元秀update>